石川武美(読み)イシカワタケヨシ

デジタル大辞泉 「石川武美」の意味・読み・例文・類語

いしかわ‐たけよし〔いしかは‐〕【石川武美】

[1887~1961]出版人。大分の生まれ。婦人雑誌記者を経て、東京家政研究会(現、主婦の友社)を興す。大正6年(1917)、「主婦之友」を創刊戦後、東京出版販売社長。

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改訂新版 世界大百科事典 「石川武美」の意味・わかりやすい解説

石川武美 (いしかわたけよし)
生没年:1887-1961(明治20-昭和36)

主婦の友社の創業者。大分県に生まれる。中学を中退し17歳で上京同文館に勤務し,羽仁吉一,都河竜らとともに《婦人之友》《婦女界》の刊行推進。1916年東京家政研究会(21年主婦之友社と改称)を興して独立,17年《主婦之友》を創刊し,3年目にして早くも同誌を婦人雑誌界最高の発行部数を誇る雑誌にまで発展させた。戦時中,統制会社日本出版配給の社長を兼任し,戦後は一時公職追放されたが,解除後の50年東京出版販売の社長に就任東販の基礎づくりに貢献した。21歳で海老名弾正牧師に洗礼をうけて以来生涯をキリスト者として送った。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「石川武美」の意味・わかりやすい解説

石川武美
いしかわたけみ

[生]1887.10.13. 大分
[没]1961.1.5. 静岡
主婦の友社の創立者。初め同文館で婦人雑誌の編集,営業を担当し,1916年に独立して『主婦之友』 (1953年『主婦の友』と改題) を創刊。家庭の主婦向けの実用雑誌というジャンル確立。関東大震災後には窮境徳富蘇峰の『国民新聞』を援助した。 50年東販社長。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石川武美」の解説

石川武美 いしかわ-たけよし

1887-1961 明治-昭和時代の出版人。
明治20年10月13日生まれ。37年上京し,同文館で「婦人之友」などの編集に従事。大正5年東京家政研究会(現主婦の友社)を創立,翌年「主婦之友」を創刊し,3年間で婦人誌の発行部数第1位にのばした。昭和25年東京出版販売社長。昭和36年1月5日死去。73歳。大分県出身。

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世界大百科事典(旧版)内の石川武美の言及

【雑誌】より

… 《主婦の友》(1917)は,料理,家計など家事の実用記事を盛り,のちには有名人の教訓や大衆作家の作品を加えて,大正年間に発行部数第1位の雑誌となった。創業者石川武美は〈一人一業〉を唱え主婦層だけを事業の対象としたかわりに,実用講座などの書籍出版や家庭用商品などを販売する〈代理部〉の創設によって,経営を戦略的に展開した。《小学六年生》(1922)によって家庭の学習熱をとらえた相賀武夫は,〈セウガク一ネンセイ〉にいたる学年別雑誌を次々に育てあげ,小学館の基礎をきずいた。…

【主婦の友社[株]】より

石川武美創業の出版社。本社,東京都千代田区神田駿河台。…

※「石川武美」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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