1960年に創設された主要産油国のグループのこと。通称OPEC(オペック)。創設メンバーはベネズエラ、サウジアラビア、イラン、イラク、クウェートの5か国。その後、脱退や再加盟などの曲折はあったが基本的に加盟国が拡大し、2024年2月時点での加盟国は12か国(創設メンバーおよびアルジェリア、コンゴ共和国、赤道ギニア、ガボン、リビア、ナイジェリア、アラブ首長国連邦)。本部はウィーンにある。
設立当初の目的は、当時産油国に対して大きな影響力を行使していた石油メジャー各社(「セブン・シスターズSeven Sisters」ともよばれた)に対抗するためだったが、1970年代の石油危機(オイル・ショック)の時期を契機に、石油市場全体への支配力を強め、その後の原油価格変動に対応するための生産調整を行う産油国グループとしての機能を明確化していった。加盟国の多くは石油収入に依存していることから、原油価格が下がりすぎると国家運営に支障をきたすため、協力して減産を行う。他方、原油価格が高くなりすぎると当座の石油収入は増加するが、世界経済への打撃になり、長い目でみた石油離れを引き起こす懸念が高まるため、増産を行って市場の安定化を図る。
OPECは1980年代以降、国際石油市場での需給安定化のための生産調整を続けている。加盟国間の協力が重視される一方、加盟国のなかで最大の影響力をもつのは「OPECの盟主」といわれるサウジアラビアである。サウジアラビアは世界最大級の石油生産能力と輸出量、そして余剰生産能力をもつことで、国際石油市場における需給調整できわめて重要な役割を果たしている。
[小山 堅 2022年1月21日]
1980年代以降、OPECは市場安定化のための需給調整を続けてきたが、OPEC以外の産油国、非OPECの生産量が拡大し、OPECの市場シェアは低下してきた。そのため、市場安定化の実現にはOPECが結束して対応するのみならず、主要な非OPEC産油国にも協力をよびかけ、協調して減産に取り組む必要が出てきた。その重要な契機になったのは、シェール革命によるアメリカの石油大増産が国際石油市場に供給過剰をもたらし、2014年後半以降に原油価格が暴落したことである。原油価格の低迷はその後も続き、ついに2016年にOPECとロシアなどの非OPEC産油国が、2017年以降協調して減産を実施する体制が形成された。この協調減産に加わる産油国グループをOPECプラスとよぶ。
2017年以降、原油価格の安定に関しての主役は、OPECプラスとなった。なかでも、サウジアラビアとロシアの協力が重要である。新型コロナウイルス感染症(COVID(コビッド)-19)がパンデミックとなって世界を襲い、石油需要が大幅に減少した2020年には、原油価格が暴落した。まさにそのとき、サウジアラビアとロシアの意見が対立してOPECプラスの協調が崩壊したため、暴落がさらに悪化した。しかし、OPECプラスは再度協調を取り戻し、2020年5月以降、史上最大規模となる日量1000万バレルの協調減産を開始、市場の安定化に重要な役割を果たした。
[小山 堅 2022年1月21日]
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…Organization of Petroleum Exporting Countriesの略称。石油輸出国機構と訳される。1960年9月,イラン,イラク,サウジアラビア,クウェート,ベネズエラの5ヵ国が,イラクのバグダードで開催した会議で結成された。…
※「石油輸出国機構」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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