砂原美智子(読み)スナハラ ミチコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「砂原美智子」の解説

砂原 美智子
スナハラ ミチコ


職業
声楽家

専門
ソプラノ

肩書
昭和音楽大学教授

生年月日
大正12年 2月19日

出生地
広島県 呉市

学歴
東京音楽学校本科声楽科〔昭和20年〕卒

経歴
昭和22年藤原歌劇団公演の「ラ・ボエーム」のムゼッタでデビュー。翌年にかけて「カルメン」のミカエラ、「セビリア理髪師」のロジーナ、「蝶々夫人」などを演じて一躍同劇団のプリマドンナに。26年パリ音楽院に留学。28年からパリ国立オペラのコミック座、34年からイスラエル・ナショナルオペラと専属契約するなど、約20年間にわたってヨーロッパを中心に国際舞台で活躍した。特に「蝶々夫人」の外国での舞台は700回を数えた。この間、しばしば一時帰国して藤原歌劇団の公演に参加。帰国後は特に日本の創作オペラに意欲を燃やし、48年には清水脩のモノオペラ「横笛」を初演。57年オペラ「沖縄物語」を最後に現役を引退。以後、昭和音楽大教授、武蔵野音楽大講師をつとめ、後進の指導にあたった。

受賞
紫綬褒章〔昭和61年〕 伊庭歌劇賞〔昭和31年〕,芸術祭賞大賞〔昭和44年〕「ルカ受難曲」

没年月日
昭和62年 8月27日 (1987年)

伝記
続・山陽路の女たち 広島女性史研究会 編著(発行元 ドメス出版 ’89発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「砂原美智子」の解説

砂原 美智子
スナハラ ミチコ

昭和期の声楽家(ソプラノ) 昭和音楽大学教授。



生年
大正12(1923)年2月19日

没年
昭和62(1987)年8月27日

出生地
広島県呉市

学歴〔年〕
東京音楽学校本科声楽科〔昭和20年〕卒

主な受賞名〔年〕
伊庭歌劇賞〔昭和31年〕,芸術祭賞大賞〔昭和44年〕「ルカ受難曲」,紫綬褒章〔昭和61年〕

経歴
昭和22年藤原歌劇団公演の「ラ・ボエーム」のムゼッタでデビュー。翌年にかけて「カルメン」のミカエラ、「セビリアの理髪師」のロジーナ、「蝶々夫人」などを演じて一躍同劇団のプリマドンナに。26年パリ音楽院に留学。28年からパリ国立オペラのコミック座、34年からイスラエル・ナショナルオペラと専属契約するなど、約20年間にわたってヨーロッパを中心に国際舞台で活躍した。特に「蝶々夫人」の外国での舞台は700回を数えた。この間、しばしば一時帰国して藤原歌劇団の公演に参加。帰国後は特に日本の創作オペラに意欲を燃やし、48年には清水脩のモノオペラ「横笛」を初演。57年オペラ「沖縄物語」を最後に現役を引退。以後、昭和音楽大教授、武蔵野音楽大講師をつとめ、後進の指導にあたった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「砂原美智子」の解説

砂原美智子 すなはら-みちこ

1923-1987 昭和時代後期のソプラノ歌手。
大正12年2月19日生まれ。藤原歌劇団にはいり昭和22年初舞台。パリのオペラ-コミック座,イスラエル国立歌劇場に所属,欧米で活躍した。32年団伊玖磨(いくま)の「夕鶴(ゆうづる)」の海外初演に主演。のち昭和音大教授。昭和62年8月27日死去。64歳。広島県出身。東京音楽学校(現東京芸大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「砂原美智子」の解説

砂原 美智子 (すなはら みちこ)

生年月日:1923年2月19日
昭和時代の声楽家。昭和音楽大学教授
1987年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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