祓戸王子跡(読み)はらいどおうじあと

日本歴史地名大系 「祓戸王子跡」の解説

祓戸王子跡
はらいどおうじあと

[現在地名]海南市鳥居

古代・中世熊野街道に面する如来によらい寺本堂の奥、境内墓地の一隅石碑が建つ。この地が社殿のあった地ともいうが、地元では街道沿いの如来寺隣地に社祠があったとも伝える。熊野九十九王子の一で県指定史跡。「後鳥羽院熊野御幸記」建仁元年(一二〇一)一〇月八日条に「次参菩提力王子自是歩指、次参祓戸王子、次入藤白宿」とある。しかし四辻殿御記(民経記)承元四年(一二一〇)四月二四日条には「松代・菩提房・鳥居等王子参如常、直参藤代御宿入御」と、祓戸王子を鳥居とりい王子と記している。また正中三年(一三二六)熊野縁起(仁和寺蔵)には大鳥居おおとりい王子と記される。


祓戸王子跡
はらいどおうじあと

[現在地名]本宮町本宮

熊野本宮大社のすぐ裏手にあり、杉やウバメガシ大樹の陰に小祠が祀られている。県指定史跡。「後鳥羽院熊野御幸記」建仁元年(一二〇一)一〇月一六日条に「払暁又出発心門、王子二内水飲、祓殿自祓殿歩指参御前」とみえ、もと祓殿はらいどの王子といわれ、熊野九十九王子のなかで最も本宮に近い場所に祀られていた。正中三年(一三二六)以前の成立とされる熊野縁起(写、仁和寺蔵)には「祓戸」、文明五年(一四七三)の「九十九王子記」には「祓殿」とあり、旅の汚れを祓い清める潔斎所としての性格が強かったため、祓殿の名が付けられたのであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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