福田(読み)ふくでん

精選版 日本国語大辞典 「福田」の意味・読み・例文・類語

ふく‐でん【福田】

〘名〙
① (puṇya-kṣetra の訳。福を生ずる田の意) 仏語。田がよく物を生ずるように、福徳を得させる人のこと。仏や僧、父母、貧者などを敬い、施しを行なうとき、多くの福徳を生み、功徳が得られるところから、これを田にたとえていう。仏を大福田といい、仏や僧を恭敬福田(敬田)、父母や師を報恩福田(恩田)、貧者や病者を貧窮福田(悲田)という。その他、種々の福田を数える。
※続日本紀‐養老三年(719)一一月乙卯「儻使天下桑門智行如此者、豈不善根之福田、渡苦海之宝筏
② 転じて、善事を行なうこと。
※浮世草子・日本新永代蔵(1713)一「過しためし今に其、善苗の福田(フクデン)、千町にこえて」
③ 人には皆幸福になれる素質があることを田にたとえていう。
※銀のなる木の伝授(1802)「人に福田(フクデン)ありといへど、かせがざれば富む事あたはず」
④ 霊域のこと。
※読本・雨月物語(1776)仏法僧「小石だも掃ひし福田(フクデン)ながら」

ふくだ【福田】

(「ふくた」とも) 姓氏の一つ。

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デジタル大辞泉 「福田」の意味・読み・例文・類語

ふくだ【福田】

姓氏の一。
[補説]「福田」姓の人物
福田行誡ふくだぎょうかい
福田清人ふくだきよと
福田繁雄ふくだしげお
福田赳夫ふくだたけお
福田恆存ふくだつねあり
福田徳三ふくだとくぞう
福田英子ふくだひでこ
福田平八郎ふくだへいはちろう
福田康夫ふくだやすお

ふく‐でん【福田】

田が実りを生じるように、福徳を生じるもとになるもの。仏・僧・父母・師・貧者・病者など。→三福田
霊域。聖域。
「小石だも掃ひし―ながら」〈読・雨月・仏法僧〉

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日本歴史地名大系 「福田」の解説

福田
ふくだ

中世、彼杵そのき庄のうちにみえる郷村。古くは老手おいて村などと称したが、地頭職を得ていた福田氏により福田と改称されたという。文応元年(一二六〇)一一月六日の平兼俊譲状写(福田文書、以下断りのない限り同文書)に「福田手隈村」とみえ、当村が兼信の子の兼俊から嫡男の兼重に譲られており、四至は東は「神崎のヒタヲ分、草富」、南は海、西は「大崎ヒタ」、北は「川ノ嶽」を限る範囲であった。こうして両村の地頭職は福田氏に代々相伝されていくが(建治元年九月二五日福田兼重申状写)、これより先、文治二年(一一八六)彼杵庄の惣地頭職に任じられたと推定される鎮西奉行天野遠景の子孫がやはり同職を世襲し、福田氏と相論を繰返していたようである。承久二年(一二二〇)福田郷と浦上うらかみ郷の境をめぐって福田兼信と天野政景(遠景の子)とが相論になり、兼信は放火狼藉の科によって福田郷名主職を解かれ、兼俊の代になって同職を回復したという。さらに兼重が天野景朝(政景の孫)と福田郷をめぐって相論、弘安六年(一二八三)兼重の福田郷地頭職が確定している(同年一二月一日関東裁許状写)モンゴル襲来では文永一一年(一二七四)に福田兼重が筑前国鳥飼塩浜とりかいしおはま(現福岡市中央区・城南区など)に赴いて防戦に努め、鎧の胸板などを矢で射通されたものの、九死に一生を得た(建治元年九月二五日福田兼重申状写)。弘安の役では弘安四年(一二八一)閏七月七日、たか(現鷹島町)の沖の敵船に丹治重茂とともに押寄せて焼払ったとされ(弘安五年三月九日丹治重茂起請文写)、またその子の兼光は筑前志賀しか(現福岡市東区)の合戦で活躍、下人一人が負傷したという(弘安五年三月七日平国澄起請文写)。同七年兼重は戸町俊基・時津重用と協力して長さ五尋の兵船一艘と帆柱・梶・櫓・網・碇などのほか、梶取・水手一五人を幕府の要請に応じて提出した(同年三月一〇日北条時定請取状写)。元亨四年(一三二四)「福田三郎兼信」は境について訴え、彼杵庄一方地頭代に出頭が命じられた(同年一〇月四日鎮西召文写)。またその直後の一〇月五日に正中の変を知らせる関東早馬が到着したため、「彼杵庄福田三郎兼信」は筑前博多津に馳せ参じている(同年一〇月一九日福田兼信着到状写)。なお兼信は領家方の年貢・済物などを年々未進していたが、正中二年(一三二五)に皆済した(同三年三月七日某請文写)

元弘三年(一三三三)一二月福田兼信(理慶)は「福田村」地頭職の安堵を建武新政府に対して求めている(同年一二月日福田兼信申状写)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「福田」の意味・わかりやすい解説

福田
ふくで

静岡県南西部,磐田市南東部の旧町域。遠州灘に臨む。 1926年町制。 1955年南御厨村の一部を編入したのち,豊浜村と合体。 1957年於保村の一部を編入。 2005年磐田市,竜洋町,豊田町,豊岡村の4市町村と合体して磐田市となった。中心集落の福田は太田川,今ノ浦川の自然堤防上に発達。明治初年頃から帆布,足袋地の製造が多かった。昭和期には別珍,コール天生産が盛んで,現在も国内有数の生産高を誇る。福田港はかつては遠州灘沿いで数少ない廻船の寄港地の一つであった。海岸沿いの砂丘では温室メロンなどの栽培が行なわれている。太田川河口付近にはウナギの養殖場,シラス加工の工場がある。一部は御前崎遠州灘県立自然公園に属する。

福田
ふくだ

長崎県南西部,長崎市の市街地西部にあり,角力灘に面する集落。旧村名。 1955年長崎市に編入。福田浦と呼ばれる小湾入は永禄8 (1565) 年から元亀2 (71) 年の長崎開港までの間,一時的に対ポルトガル貿易港となった。現在は長崎市郊外のレクリエーション地区で遊園地海水浴場があり,港には遊漁船も多い。

福田
ふくでん
puṇya-kṣetra

原義は「福徳を生じる田畑」の意。仏や僧など,敬うと多くの福徳が得られるものを敬田 (きょうでん) ,父母や師など,恩に報いなくてはならないものを恩田,貧者や病人など,憐れむべきものを悲田といい,以上を三福田とする。その他二福田,四福田,八福田などを数える。

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改訂新版 世界大百科事典 「福田」の意味・わかりやすい解説

福田 (ふくでん)

仏教の用語。福徳を生み出す田地の意。田に種子をまくと収穫があるように,仏,僧,父母,貧窮者などに布施すると,未来に功徳が得られるとして,布施する対象を福田といった。三福田(敬田,恩田,悲田)とか八福田など,その数え方はさまざまであるが,なかでも重要なのは,苦しみ悩む者(悲田)の救済事業であって,悲田養病坊,悲田院などが設けられた。また橋の建設,義井の開掘など諸種の社会事業も,この思想に基づいている。
執筆者:

福田 (ふくで)

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普及版 字通 「福田」の読み・字形・画数・意味

【福田】ふくでん

功徳田。

字通「福」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の福田の言及

【甘木[市]】より

…福岡県中部の市。1954年甘木町,秋月町と安川,上秋月,立石,三奈木,金川,蜷城(ひなしろ),福田,馬田の8村が合体,市制。人口4万2702(1995)。…

【僧】より

…とりわけ農村部においては,還俗僧が民衆仏教儀礼のなかで指導的役割を演じ,サンガと一般社会を媒介する重要な機能を果たすことが多い。戒律を正しく守る僧の集り(サンガ)は〈福田puññakkhetta〉と呼ばれる。そこにまいた種は功徳puññaの実を結んで人びとに喜びをもたらすと信じられる。…

※「福田」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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