福田山村(読み)ふくたやまむら

日本歴史地名大系 「福田山村」の解説

福田山村
ふくたやまむら

[現在地名]白山町福田山

城立じようりゆう村、二俣ふたまた村の西南にあり、布引ぬのびき山地元取もとどり山麓ふじ川に沿う谷間の村。山田野やまだの村より藤村・城立村を経て布引峠に至り、伊賀霧生きりう(現名賀郡青山町)へ越す元取越の街道が村内を通る。

文禄検地帳(福田山区有文書)には、福田山之郷一五〇石七斗余とあり、田数八町四反余、畠屋敷五町四反余の小村である。この検地帳に名請人は一四人、大部分は七人の農民の所有地で、他の所有地はきわめて少ない。近世は慶長一三年(一六〇八)以降津藩領。寛延年中(一七四八―五一)の家数六二、人数二六九で、牛一三、馬二、神祠は八王子・恵美子、寺院に地蔵寺がある(宗国史)。幕末には新田が開かれて二〇九石余に増加する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

五節舞

日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...

五節舞の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android