種崎村(読み)たねざきむら

日本歴史地名大系 「種崎村」の解説

種崎村
たねざきむら

[現在地名]高知市種崎

土佐湾の入江浦戸うらど湾口に東から半島状に突出した地にある。北東仁井田にいだ村、南対岸は浦戸村勝浦浜かつらはま村。長岡郡に属し、「土佐州郡志」は種崎浦として「東西七里許南北十一町許、戸凡二百七十一、船五十六、其地多砂」と記す。永禄一一年(一五六八)の一宮再興人夫割帳(土佐神社文書)に「種崎衆」がみえる。天正一六年(一五八八)の種崎浦地検帳によると、検地面積は一八〇筆で八町七反二九代三歩で、うち屋敷数一六六で六町六反二九代三歩、そのほかはすべて畠分であった。

元禄地払帳によると総地高三三〇石余、うち本田高八七石余・新田高二四二石余。本田は蔵入地四二石余で、残りは御船役人屋敷・御船番屋敷など藩の船方関係地。新田は貢物地一一八石余、残りは葛目太良兵役知、中嶋四郎兵衛領知をはじめ、藩の船方関係地となっている。幕末期には新田高二二六・三八一石と減少(明治三年郷村高帳)。寛保郷帳による家数一六八、人数九〇三、船一一。

当村は、前記地検帳が「種崎浦」とするように、耕地の少ない、浦中心の村であった。慶長二年(一五九七)の秦氏政事記(蠧簡集)の中五郡代官庄屋の項に「種崎 政所 川田喜兵衛」とあり、浦戸御畳瀬みませなどとともに浦庄屋は「政所」と称されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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