日本歴史地名大系 「稲庭村」の解説
稲庭村
いなにわむら
鎌倉時代に下野国の小野寺氏庶流が移り住んだと伝え、
とあり、強い独立性を保っていた。
正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に一千一〇二石とある。宝永二年(一七〇五)の雄勝郡村々御黒印高牒(秋田県庁蔵)では高は本田八三五石八斗九升一合、新田二八三石三斗四升、合計一千一一九石二斗三升一合(当高一千六四石三斗七升一合)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
鎌倉時代に下野国の小野寺氏庶流が移り住んだと伝え、
とあり、強い独立性を保っていた。
正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に一千一〇二石とある。宝永二年(一七〇五)の雄勝郡村々御黒印高牒(秋田県庁蔵)では高は本田八三五石八斗九升一合、新田二八三石三斗四升、合計一千一一九石二斗三升一合(当高一千六四石三斗七升一合)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...
5/20 小学館の図鑑NEO[新版]昆虫を追加
5/14 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新