稲梓郷(読み)いなずさごう

日本歴史地名大系 「稲梓郷」の解説

稲梓郷
いなずさごう

古代の郷名。。天平七年(七三五)一〇月の平城京跡出土木簡(「平城宮木簡概報」二二―二八頁)に「稲梓郷稲梓里戸主占部□志戸占部石麻呂」とみえる。旧稲梓村を遺称地とし、同村にあたる現下田市箕作みつくり堀之内ほりのうち相玉あいたま横川よこかわ加増野かぞの椎原しいばら宇土金うどがね荒増あらぞう北湯きたゆ須原すはらに比定する説がある。前掲木簡から当郷に式内社「伊豆三嶋神社」の祭祀とかかわりの深い占部が分布し、荒堅魚を貢進していたことがわかるので、従来の説によって大社おおやしろ郷に比定されていた現下田市白浜しらはまなども当郷に含まれていたと考えられる。


稲梓郷
いなずさごう

相玉あいたま横川よこかわ一帯に比定される中世の郷。応永八年(一四〇一)正月二二日の道康打渡状(三嶋大社文書)に「稲梓郷愛玉下村御料所方」とみえ、三嶋社(三嶋大社)神主盛平に打渡している。応永二二年一月九日、伊豆守護上杉憲基は稲梓郷内の庶子分を除いた土屋近江五郎入道跡一円を三嶋社に不断護摩料所として寄進し、同日施行され、同月一五日守護代による打渡しが実施された(「伊豆守護上杉憲基寄進状」同文書など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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