戦国・安土(あづち)桃山時代の武将。美濃(みの)三人衆の一人。幼名彦六。名を通以(みちもち)、通朝(みちとも)、貞通(さだみち)、長通(ながみち)、良通(よしみち)と改めた。右京亮(うきょうのすけ)、伊予守(いよのかみ)を称し、入道して一鉄。1525年(大永5)近江(おうみ)浅井氏の進攻を迎撃し、父と5人の兄が戦死したあと、還俗(げんぞく)して家を継ぐ。土岐(とき)氏に続き斎藤道三(どうさん)に仕えたが、その子龍興(たつおき)と対立。織田信長の美濃攻略にあたり、三人衆の氏家卜全(うじいえぼくぜん)、安藤守就(もりなり)と謀り、内通した。のち信長に仕え、美濃国(岐阜県)曽禰(そね)(曽根、大垣市内)を居城とし、姉川(あねがわ)の戦い以下に功をたてた。本能寺の変後、急ぎ帰国し、社寺に制札を出したため、羽柴(はしば)(豊臣(とよとみ))秀吉に疑われたという。また茶室で虚堂(きどう)の墨跡に託し無実を述べ信長の疑いを解いたという逸話もある。清水(きよみず)城で没。美濃大野郡長良(ながら)(揖斐(いび)郡揖斐川町)の月桂院に葬られる。
[奥野高広]
(小和田哲男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…西濃三人衆ともいう。美濃西部に勢力をもった戦国武将稲葉伊予守良通(一鉄,1515‐88),安藤伊賀守守就(無用,道足,?‐1582),氏家常陸介直元(卜全,?‐1571)をさす。土岐氏,斎藤氏に仕えたと伝えるが,西濃地方に共同の独立的勢力を確立しており,1567年(永禄10)織田信長の岐阜攻略に内応して功を認められ,本領および杭瀬川以西の共同段銭(たんせん)徴収権などを安堵された。【勝俣 鎮夫】…
※「稲葉一鉄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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