穴原村(読み)あなばらむら

日本歴史地名大系 「穴原村」の解説

穴原村
あなばらむら

[現在地名]利根村穴原

日向南郷ひなたなんごう村の北東の高原上に立地。利根郡に属した。老神おいがみ村から南下してきた大間々おおまま街道(根利道)が当地を通り、コムギ峠を越えて根利ねり村に向かう。天明五年(一七八五)七月、高山彦九郎は根利からこの道で当地に至り、大原おおはら村に向かった(北上旅中日記)。寛文郷帳によると高一七九石余(畑方のみ)、沼田藩領。寛文三年(一六六三)の真田領村高書上控では高八〇九石余。貞享二年(一六八五)旧真田領村高書上控では高八五石余。


穴原村
あなばらむら

[現在地名]舘岩村穴原

田瀬たのせ村の北西、舘岩川と西根にしね川の合流点から少し下った右岸にある。熨斗戸組の北西端に位置し、北は古町組恥風はじかぜ(現伊南村)。文化一五年(一八一八)の南山御蔵入領組村高帳では高六〇石余。化政期の家数一五(新編会津風土記)。明治四年(一八七一)の家数一〇・人数四八(人員録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報