立石孫一郎(読み)たていし・まごいちろう

朝日日本歴史人物事典 「立石孫一郎」の解説

立石孫一郎

没年:慶応2.4.26(1866.6.9)
生年:天保3.1.1(1832.2.2)
幕末尊攘派志士。名は維敬,通称恵吉,敬之介(大橋)。播磨国佐用郡上月村(兵庫県上月町)の大庄屋大谷五右衛門喜道の長男。16歳で大庄屋見習になるが,藩役人と口論し母の実家美作国二宮村の立石正介に寄食。翌嘉永1(1848)年備中倉敷の庄屋大橋平右衛門の養子となり,敬之介と改名。その後尊攘派志士となる。慶応1(1865)年立石孫一郎と改名し長州藩南奇兵隊に入るが,翌年4月第二奇兵隊(南奇兵隊改め)を脱退。尊攘討幕を掲げて倉敷代官所および備中浅尾陣屋を襲撃した(倉敷浅尾騒動)。松山岡山藩追討を受けて逃亡し,頼りとした長州藩の銃撃により殺された。

(高木俊輔)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「立石孫一郎」の解説

立石孫一郎 たていし-まごいちろう

1832-1866 幕末の尊攘(そんじょう)運動家。
天保(てんぽう)3年1月1日生まれ。播磨(はりま)(兵庫県)佐用郡上月村の大庄屋の長男。慶応元年長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩の奇兵隊にはいる。2年脱走兵をひきつれて備中(びっちゅう)(岡山県)倉敷代官所,浅尾陣屋を襲撃(倉敷浅尾騒動),同年4月26日松山・岡山藩の追討軍に殺された。35歳。本姓は大谷。名は維敬。通称は別に敬之助。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

潮力発電

潮の干満の差の大きい所で、満潮時に蓄えた海水を干潮時に放流し、水力発電と同じ原理でタービンを回す発電方式。潮汐ちょうせき発電。...

潮力発電の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android