朝日日本歴史人物事典 「立見尚文」の解説
立見尚文
生年:弘化2.7.19(1845.8.21)
明治期の陸軍軍人。桑名藩士町田伝太夫の3男。幼時,同藩士立見家の養子。官軍に抗する桑名藩雷神隊の隊長を務める。越後長岡で山県有朋の陣営を急襲,以来山県は立見に頭が上がらなかったという。西南戦争では新撰旅団参謀副長。日清戦争では歩兵第10旅団長。30年弘前の第8師団長となり,在職6年新師団の育成に努めた。35年1月麾下第5連隊の「八甲田山雪中行軍」では211人中199人の凍死事件が起こっている。日露戦争では黒溝台の会戦で活躍。奉天会戦中に病を得たが大将に進む。東洋一の用兵家といわれた。<参考文献>桜井忠温編『類聚伝記大日本史』14巻
(影山好一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報