ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「竹内玄同」の意味・わかりやすい解説
竹内玄同
たけうちげんどう
[没]1880.11.12.
江戸時代末期の医師。名は幹,号は西坡および風香,字が玄同,院号は渭川院。代々丸岡藩 (福井県) の医官であった叔父玄秀の家を継いだ。京都の藤林普山から蘭学を修め,次いで長崎の P.シーボルトについて医学を学び,伊東玄朴,戸塚静海らと親交を結んだ。帰郷して藩医となったが,江戸に出て,天保 13 (1842) 年幕府の蘭書翻訳手伝を命じられた。安政5 (58) 年玄朴,静海とともに将軍徳川家定の侍医となった。幕府が奥医師に採用した最初の蘭方医である。のち法印に上り,西洋医学所の取締りを兼任,将軍家茂の侍医としてその看病に努めた。晩年失明し,すべての公職を退いて隠棲した。
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