笹子村(読み)ささごむら

日本歴史地名大系 「笹子村」の解説

笹子村
ささごむら

[現在地名]木更津市笹子

犬成いんなり村の東、小櫃おびつ川下流左岸に位置し、東・西・南を丘陵で囲まれており、水利に恵まれなかったという。篠子村とも記した。天正一五年(一五八七)の奥付をもつ「ささこおちのさうし」(笹子落草紙)に「さゝごのぢやう」とみえ、天文一二年(一五四三)に笹子城が小田原北条軍によって陥落し、城主の鶴見信仲が戦死している。文禄三年(一五九四)上総国村高帳に村名がみえ、高五九四石。寛文三年(一六六三)に旗本大沢氏が当村の一部を知行地とし、翌四年に同氏の名寄帳、与力給知の名寄帳、延宝五年(一六七七)に幕府代官による検地帳、旗本戸田氏の名寄帳、大沢氏の名寄帳、元禄元年(一六八八)に幕府代官による検地帳が作成された(茂田家文書)。元禄郷帳では高六五九石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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