筏ヶ峰戸隠山三院跡(読み)いかだがみねとがくしやまさんいんあと

日本歴史地名大系 「筏ヶ峰戸隠山三院跡」の解説

筏ヶ峰戸隠山三院跡
いかだがみねとがくしやまさんいんあと

[現在地名]小川村筏ヶ峰

戸隠山三院(現戸隠神社)衆徒らが戸隠大権現を奉じて四〇年間在留した史跡。永禄元年(一五五八)戸隠三院衆徒は武田信玄方に属したので、同二年六月上杉謙信方は兵を出して戸隠山を侵略した。「戸隠山神領記」に、「永禄二年六月十九日夜、越寇復至、三院衆徒遁於木那佐、未幾而又帰山」とあって、衆徒は敵することができず鬼無里きなさ(現上水内郡)に一時避難したが、信玄が北信濃に勢いを張るに及んで戸隠に帰山した。同七年秋謙信は兵を率いて信濃に入った。戸隠山三院衆徒らはその侵略を恐れて、奥院祇乗坊真祐は、戸隠の霊場が甲越相戦のためしばしば危難を被り神への奉仕も断絶するのを憂えて、同志七〇人と、武田方先手衆中勢力のあった大日方氏の庇護を受けることのできる筏ヶ峰に移った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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