箕升新田村(読み)みますしんでんむら

日本歴史地名大系 「箕升新田村」の解説

箕升新田村
みますしんでんむら

[現在地名]藤島町箕舛新田みますしんでん

荒俣あらまた村の北に位置し、東を黒瀬くろせ川が流れる。加賀国の浪人渡部儀左衛門・佐太夫兄弟によって寛文八年(一六六八)に開村されたと伝えられる。村の西はずれに儀左衛門の墓がある。寛文一三年の検地帳(箕舛新田区有文書)では高九四石余、田七町二反余・畑三町四反余、屋敷一町四反余(藤島町史)弍郡詳記によれば免三ツ九分、家数一八。庄内藩領で幕末に至る。蛸井清右衛門は富農で最盛期一万数千刈の田地を有し、名字御免家柄であったが、その後家産を傾けたと伝えられる(藤島町史)。当村に居住し、弘化年間(一八四四―四八)に病死した川井玄仲の先祖は三代藩主酒井忠勝の付人であったが、いつの頃か浪人となったもので、同人は家名を立てるため嘆願書を度々差出したが許されなかった(大泉叢誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android