箕輪(読み)みのわ

精選版 日本国語大辞典 「箕輪」の意味・読み・例文・類語

み‐の‐わ【箕輪】

  1. [ 1 ] 中部地方以東で、砦(とりで)中心発達した村をいう。突出した丘の周囲を取り囲んだ村落が箕の形に似ているところからいう。
  2. [ 2 ] 長野県中南部の地名伊那盆地の北部にあり、三州街道伊那街道沿いの町として発達。時計・電子部品などの工場がある。

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日本歴史地名大系 「箕輪」の解説

箕輪
みのわ

現在の箕郷町南部を中心とした地域の呼称で、一五世紀から一六世紀にかけて長野氏により箕輪城が築城された。応永二三年(一四一六)六月三日付上杉憲基寄進状(明月院文書)で、上野守護領長野ながの郷のうち賀島氏跡の「簸輪本郷」が鎌倉明月めいげつ院に寄進されている。

箕輪城が築城された頃から、当地一帯は各勢力の争奪戦の舞台となった。永禄五年(一五六二)には武田信玄軍勢によって箕輪、総社そうじや(現前橋市)倉賀野くらがの(現高崎市)の郷村がことごとく撃砕され、作物は刈取られた(同年九月一八日付「武田信玄書状写」小田部庄右衛門氏所蔵文書)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「箕輪」の意味・わかりやすい解説

箕輪(町)
みのわ

長野県中南部、上伊那郡(かみいなぐん)の町。伊那盆地北部に位置する。1955年(昭和30)中箕輪町と東箕輪、箕輪の2村が合併して成立。町域の中央を天竜川が貫流し、両岸の平坦(へいたん)な段丘面と西部の木曽山脈東麓(とうろく)の扇状地からなる。段丘面と扇状地の境を西天竜用水路が走り、段丘面は水田地、扇状地は原野や畑作地である。JR飯田(いいだ)線、国道153号(三州街道)、中央自動車道が通じ、伊北(いほく)インターチェンジがある。木下、松島は三州街道の宿駅で、民家の様式に近世のおもかげを残す。諏訪(すわ)地方に近く、近年諏訪の工場が進出し、県内町村では有数の工業出荷額を維持する。箕輪町郷土博物館は、江戸中期の農家や、幕末の生活用具などを収蔵する。東方の萱野(かやの)高原からの伊那谷や南アルプスなどの眺望は壮大である。面積85.91平方キロメートル、人口2万4989(2020)。

[小林寛義]



箕輪
みのわ

群馬県高崎市の中北部にある地名。榛名(はるな)山の南東斜面末端部に位置する旧箕郷町(みさとまち)の中心集落。中世末から近世初期に箕輪城の城下町で、現在、国指定史跡の箕輪城跡に堀、城門跡などが残っている。

[村木定雄]

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改訂新版 世界大百科事典 「箕輪」の意味・わかりやすい解説

箕輪[町] (みのわ)

長野県中央部,上伊那郡の町。人口2万6214(2010)。伊那盆地北部に位置し,中央部を南流する天竜川に沿ってJR飯田線,国道153号線,中央自動車道が並行して走る。中心集落の松島は近世,伊那往還の宿駅であった。東部は大部分が山地であるが,西部は天竜川の河岸段丘面で,昭和初期の西天竜疎水の建設によって水田化された。桑沢川,帯無川,深沢川が東流する用水路西側の緩傾斜地は果樹園や桑園に利用されている。近年は工業団地が造成され,電子・精密機器の工場が進出している。北部の辰野町との町界付近に中央自動車道伊北インターチェンジがある。その近くの無量寺の阿弥陀如来像は重要文化財である。
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百科事典マイペディア 「箕輪」の意味・わかりやすい解説

箕輪[町]【みのわ】

長野県中部,上伊那郡の町。伊那盆地北部にあり,天竜川右岸の河岸段丘下を通る三州街道(国道153号線),飯田線沿いに主集落の松島と木下がある。中央自動車道が通じる。米,果樹,野菜を産し,畜産も行う。85.91km2。2万6214人(2010)。

箕輪【みのわ】

中世の豪族屋敷を中心とし,そのまわりに農民が住んで発達した集落。関東地方に多くみられ,これに由来する地名も少なくない。→根小屋
→関連項目堀の内

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