( 1 )「東大寺要録‐一・本願章第一」には天平一二年(七四〇)一〇月八日の聖武天皇の四〇の賀が「皇御年四十満賀之設レ講初開レ講」とみえ、すでに奈良時代から行なわれていたことが知られる。この算賀の儀は饗宴、奏楽、作詩・作歌が主要行事であり、この儀には屏風を調進し、屏風絵・屏風歌を書いて祝の席に立てていた。
( 2 )祝儀の品としては、四〇の賀なら経四〇巻、白馬四〇頭など、年数(もしくはその倍、一〇倍、一〇〇倍)に数を合わせる習いであった。
( 3 )一〇の倍数によらない六一(生年の干支が一巡する年としての還暦)・七七(喜ぶの草書からの喜寿)・八八(米の字から米寿)の賀を祝うことは、室町時代頃から行なわれ始めた。
算賀とは年寿を祝賀する意で算は年齢。後世では賀(が)の祝いという。40歳から始め,50,60,……と10年ごとに祝う。供宴,奏楽,作詩,作歌が主要行事であった。中国伝来の風習で,奈良朝ごろから行われ,聖武天皇の40の賀が初見である。この儀では祝儀の品々その他は,40の賀なら白馬40匹,薬師経40巻,唐櫃(からびつ)40合というように年数(またはその2倍,10倍,100倍など)に数を合わせるしきたりだった。また竹杖や鳩杖を贈ったり,屛風を調進し,屛風絵・屛風歌を書いて祝いの席に立てることが行われた。《源氏物語》をはじめ平安朝の文学には賀の記述がしばしば見られ,後白河法皇の50の賀は盛大なものとして史上に名高く,藤原俊成の90の賀もよく知られている。室町末期ごろからは別に42歳,61歳(還暦),70歳(古稀),77歳(喜寿),88歳(米寿),90歳(卒寿),99歳(白寿)を祝うようになり,今日に及ぶ。
→年祝
執筆者:中村 義雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…通過儀礼の一つ。数え年61の還暦,70の古稀,77の喜寿,88の米寿,99の白寿などの〈長寿の祝い〉を総称して賀寿,賀の祝い,あるいは算賀というが,庶民の間ではこれを年祝と呼ぶことが多い。つまり以上の〈長寿の祝い〉が年祝の典型である。…
※「算賀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新