米山村(読み)こめやまむら

日本歴史地名大系 「米山村」の解説

米山村
こめやまむら

[現在地名]五色町都志米山つしこめやま

都志本つしほん村の北東に位置し、東は葛尾つづらお村。周囲は尾根で、尾根が村境となっている。村全体が傾斜地であるため水は四方に流れる。葛尾村の七曲りから北の深草ふかくさ(現一宮町)越えの道、村中央からは都志本村・都志浦に各々道が通じている。村名は山に囲まれたところという意味の籠山こめやまが転じたといわれる(味地草)正保国絵図に村名がみえ、高一四三石余。天保郷帳では高一九八石余。反別戸数取調書では反別一七町八反余、高二一八石余、うち蔵入高六三石余、一五五石余が森平馬ら四人の給地。

米山村
こめやまむら

[現在地名]吉川町米山

北は吉井よしい村、東は山中やまなか村、南は岩沢いわさわ村、西は入川沢いりこうぞう村に囲まれる。文禄(一五九二―九六)頃の頸城郡絵図に「称念寺分米山村 下」とみえ、本納一〇石・縄高一二石六斗一升二合、家六軒・二一人とある。正保国絵図に高六三石余とみえる。延宝七年(一六七九)の越州四郡高帳では高四三石五斗余。天和三年郷帳によれば高四九石六斗余であった。享保二年(一七一七)糸魚川藩領に属し幕末に至る。同九年の蝋実定納村々割付帳(石野武教氏蔵)によると、山蝋実一升一合八勺・里蝋穂六貫一六〇匁を割付けられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報