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政治団体や秘密結社などの内部で,組織の一体性や純粋性を保持するために,異分子を排除すること。その方法として,成員中の反対派,潜在的対抗者を除名,追放したり,投獄(強制収容所に入れるなど)や政治裁判によって処刑したりする。粛清は独裁国家や社会主義国家において多くみられる。それは政治権力が1人あるいは1党に限られ,他の勢力の存在を認めないという性格による。
労働者階級の前衛党であると自己規定する共産主義政党は,とくに権力を掌握したのち,自己の内部に出世主義者,イデオロギー的偏向者,動揺分子,他の政党の出身者,さらに異質な階級の人物が入りこむ可能性があるとして,コミンテルンは各国共産党に定期的な粛清を義務づけた。レーニン時代のソ連における粛清は主としてこのような任務に限られ,党内反対派への抑圧という効果は予定されなかった。しかし,党内反対派の一掃が重要な任務となり,スターリン体制が形成・確立する1928-29年以後,粛清はたんに潜在的・顕在的政治的反対派だけでなく,党の任務に障害となるとされる社会層(インテリ,クラークや,それらにつながりのある者)を一掃することがめざされ,さらに粛清には党だけでなく治安機関も関与することとなった。粛清は,とくに大きな社会的変動に伴う組織内部の動揺をおさえ,潜在的反対者や,指導に懐疑的な者,任務に忠実でないものを除くものであって,指導者の政治的地位を固めることとなる。さらにテロルの可能性を示すことによって社会全体を恐怖と不安に陥れ,このことによって全般的支配を容易に達成するための一つの手段となった。1936-38年の大粛清はこの典型例である。この時には治安機関がスターリンの指導のもとで,党・政府の幹部や多くの人々を追放し,粛清裁判にかけ,また強制収容所に送った。同様の例は第2次大戦後のスターリン体制や東欧諸国でも生じ,とくに1948年ユーゴスラビアをコミンフォルムから追放するのと並行して,各国で反対派的コミュニストだけでなく,独立派コミュニスト,外交官や政府の役人が粛清裁判で追放された。スターリン批判後,粛清は政治的キャンペーンとしては影をひそめ,党員証の書換えや党員の党規律や規約の違反という形態で除名が実施される。中国における整風運動や整党運動も同様な目的をもつものであるとされる。
執筆者:下斗米 伸夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
本来の意味は、組織的な点検による共産党員としてふさわしくない者の党からの追放である。旧ソ連共産党は、権力についた党には内部に腐敗がおこるので、定期的な浄化が必要であるという考えにより、党規約に粛清の制度を定め、1921年から36年まで何回か特別委員会をつくって全党員を点検し、党内から腐敗分子を追放する措置をとってきた。しかしスターリンが党の指導権を確立した20年代末から、粛清の制度は、当時の路線に批判的な者を党から追放するために利用され、混乱を招いたので、39年の規約改正で粛清の制度は廃止された。以後ソ連では、腐敗分子の追放は規約の定める通常の手続で個別的に行われていた。
粛清は西側諸国の文献では別の意味でも用いられている。すなわち1920年代から50年代初めまで、旧ソ連では路線、政策をめぐる論争で少数派の幹部が党と政府の要職を解任され、とくに30年代には当時の党規約の定める粛清の手続によらず、多数の幹部が違法に逮捕され、そのなかには殺された者が多く、同じ事態は50年代に若干の東欧諸国でもおき、そのため西側諸国で「血の粛清」ということばが生まれた。中国では50年代なかばの反右派闘争のとき、毛沢東(もうたくとう/マオツォートン)に批判的な多数の知識人が弾圧され、60年代なかばから70年代なかばの「プロレタリア文化大革命」時代には、反毛沢東派の多数の幹部が弾圧され、毛沢東の死後は逆に彼の側近が逮捕され、党内の毛沢東派の多数の幹部が失脚したが、西側諸国の文献ではこれらの例も粛清とよばれている。
大半の社会主義国では1950年代なかばに、党内での意見の違いを少数派の組織的排除と弾圧で解決する過去の実践が非難され、以後このような事態はなくなっており、西側諸国の使う意味での粛清はない。しかしベトナム労働党は、ベトナム戦争後の70年代なかばに、党の強化のため非党員の参加のもとに全党員を点検し、不良党員を追放する運動を行った。このような本来の意味での粛清は、他の若干の社会主義国でも行われている。
[稲子恒夫]
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…また主流派と反対派とが相互に相手を除名しあうことにより,組織体が分裂することもまれに存在する。 除名がとくに大きな政治的意味をもつのは,イデオロギー的基盤が強固な政治組織,とくに社会主義,共産主義運動や特定のイデオロギーを標榜する一党制国家においてであり,その場合の除名は〈粛清〉とよばれている。1927年のトロツキーのロシア共産党からの除名や,1948年のコミンフォルムからのユーゴスラビア共産党の除名などが有名である。…
…1930年代後半のソ連邦においてスターリンが行ったソ連邦共産党幹部や軍人,知識人,大衆に対するテロルを指し,主として〈西側〉の諸国で用いられる呼称。粛清とは元来プロレタリアの前衛党の党員としてふさわしくない人物を党から除名することを意味するもので,テロルとは無関係な概念であった。 1917年の革命後21年までに共産党以外の党派が消滅し,30年ごろまでに分派の禁止措置により党内反対派やグループが禁じられ,スターリンの支配が形成された。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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