紙衣(読み)しい

普及版 字通 「紙衣」の読み・字形・画数・意味

【紙衣】しい

紙の衣。死者に用いる。〔宋史、方技下、棲真伝〕はざること一、~十二二日を以て、紙衣を衣(き)て磚(せんたふ)に臥して卒(しゆつ)す。~久しきにんで、形生けるが如し。衆始めてき、傳へて以て尸解(しかい)(仙化の一)と爲す。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「紙衣」の意味・わかりやすい解説

紙衣
かみこ

生漉(きず)きの腰の強い和紙を、糊(のり)で張り合わせ、着物仕立てにしたもの。紙子とも書く。糊は江戸時代にはワラビの根からとったものであり、現在はこんにゃく糊を使用する。軽くて、しかも保温性に富み、古代から僧衣として用いられ、その伝統を引いて今日も、奈良・東大寺の二月堂の修二会(しゅにえ)の際に着用されている。また戦国時代の武将の間では、陣羽織や道服として用いられた。豊臣(とよとみ)秀吉から拝領したその遺品が、静岡の石川家や、山形県米沢(よねざわ)市の上杉神社に残されている。

 紙衣は紙を糊で張り合わせ、その上に渋を引いたりするため、紙自体がこわばりやすい。これを柔らかくするには、張り合わせたあと、渋を引いてから天日で乾燥させ、そのあと手でよくもんで夜干しをする。翌日また干して、夕刻に取り込み、再度もむ。これを何回か繰り返して、こわばらないように仕上げるのである。

 紙衣の産地としては、陸奥(むつ)国では白石(しろいし)(宮城県)、駿河(するが)国では安倍(あべ)川流域(静岡県)、紀伊国では華井(はない)(和歌山県)が名高い。材料が紙であるところから、江戸時代には広く防寒衣として利用されたが、下着的な利用ばかりではなく、好事家の間では羽織に定紋をつけて用いられ、胴着としても利用された。歌舞伎(かぶき)では『廓文章(くるわぶんしょう)』のなかでみられ、伊左衛門が零落したのちかつて遊女と取り交わした手紙を張り合わせてつくった紙衣を着た姿に、もののあわれを感じさせる。現在ではごく一部の人たちの間で、羽織や胴着として用いられている。

[遠藤 武]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「紙衣」の意味・わかりやすい解説

紙衣
かみこ

紙子とも書く。和紙をこんにゃく糊でつなぎ合せ,柿渋を塗って乾燥させたうえ,もみほぐしてから縫った和服。防寒衣料または寝具として用いられたもので,『源平盛衰記』『曾我物語』などには貴賤を問わず着用したことがみえる。また『老人雑話』に「謙信が信玄を亡さむ談合せんとて,紙子一つ小脇差一腰にて」出かけたとあり,『一話一言』にも,天正 18 (1590) 年豊臣秀吉の小田原出陣の際,駿河宇津山にて馬の沓の切れたのを見た石垣忠左衛門という者が沓を献じたところ,秀吉手ずから紙衣の羽織を賜わったとある。したがって夕霧伊左衛門を描いた浄瑠璃に語られるように貧しい者だけが着用したものではない。主産地は奥州の白石,駿河の安倍川,紀州の華井,摂津の大坂などが著名であった。近代にいたってほとんど廃絶した。

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世界大百科事典(旧版)内の紙衣の言及

【紙子】より

…紙衣とも書く。紙を用いて作った衣服。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」