絹屋村(読み)きぬやむら

日本歴史地名大系 「絹屋村」の解説

絹屋村
きぬやむら

[現在地名]西伯町絹屋

鍋倉なべくら村の南西、絹屋川の源流域に位置する。集落西部の奥絹屋、東部の口絹屋に分れている。西方出雲井尻いじり(現島根県伯太町)へ越す峠は出雲越の峠のうち最も低く、古来往来が盛んであった。永禄年間(一五五八―七〇)尼子氏と毛利氏の争いの場ともなった。峠南方、標高三三九メートルの高小屋たかごや山には尼子氏の砦があり、その支脈天万てま山の麓には、奥絹屋のカワタケ五輪塔とよぶ高さ一八〇センチほどの供養塔も残っている(西伯町誌・伯耆志)。藩政期の拝領高は三二五石余、本免は五ツ一分。藪役銀二三匁九分が課され(藩史)、宮脇氏の給地があった(給人所付帳)幕末の六郡郷村生高竈付では生高三七二石余、竈数四〇。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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