改訂新版 世界大百科事典 「縮見屯倉」の意味・わかりやすい解説
縮見屯倉 (しじみのみやけ)
兵庫県三木市志染町付近にあったミヤケ(屯倉)。この地は《播磨国風土記》美囊(みなぎ)郡志深里,《和名抄》同郡志深郷の故地にあたる。《日本書紀》の清寧2年条によると,播磨国の司(みこともち)の山部連の先祖,伊予来目部小楯が,縮見屯倉首忍海部造細目のもとに身をよせていた市辺押磐皇子の子,億計(おけ)・弘計(おけ)両皇子(仁賢・顕宗天皇)を新室(にいむろ)の宴で見つけだしたとある。《古事記》では,山部連小楯が播磨国宰(みこともち)として赴任したとき,志自牟なる人物の新室の宴席で2皇子を見いだしたとある。また《播磨国風土記》では,針間国の山門領に派遣された山部連小楯が,志深村首伊等尾の新室の宴で2皇子を見つけたとある。このように3所伝は,細部で異なる点もあるが,志深付近の在地の豪族(村首)がこのミヤケの管理者(屯倉首)となっており,このミヤケを含めて播磨地方に所在した倭政権の田地の経営を,中央から派遣されるミコトモチが監督し収取も行っていたことがうかがえる。
執筆者:栄原 永遠男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報