( 1 )挙例の「美妙学説」の定義が有名で、明治中期まで広く一般にこの意で用いられていた。
( 2 )一方、正岡子規が「博覧会などにて美術工芸品といふ語を用うるはやがて世人をして絵も彫刻も織物も陶器も同一美術品なりと誤想せしめ、従って美術品は工芸品なりと誤想せしむるの一大原因にやあらん」〔人語〕と指摘したように、明治三〇年代から「美術」は造形芸術に限定されていく。
美術ということばは明治初期、啓蒙(けいもう)思想家として知られる西周(にしあまね)が英語のfine artを直訳したものだが、これに類似した訳語はないようで、その後しだいに定着し、芸術のなかの造形の分野をさしている。
しかし、fine artは元来、造形美術のみを意味するものでなく、芸術全般を広く含めていうことがあり、その訳語としては概念が明確でないといえる。この「芸術」という語は、中国では『後漢書(ごかんじょ)』にもみえる古い語で、学問・技芸のことであり、当時はまだ美術の語はない。清(しん)末になって、歴代の美術論を編集した『美術叢書(そうしょ)』がつくられているが、これは西周以降、日本で一般化されていた「美術」を転用したものと思われる。いずれにせよ、外国語を訳してつくられた「美術」という語は、その原語の本来の意味を離れ、現代に至るまで盛んに用いられている。美術とは何かという本質的な概念内容を定めることはむずかしく、時代や場所、あるいはそのときの社会現象によって概念が変革していく傾向がある。
[永井信一]
歴史的にみると、初めから美術という概念があったわけではない。人間がなにか道具を用いてつくったものを美術という枠でくくり、文化的現象の一分野としてみなすに至ったのは近代になってからのことである。美術のもっとも古い作品が旧石器時代の洞窟(どうくつ)絵画や石製の女神像にまでさかのぼるように、美術は人間の歴史とともにあったといえる。しかし、旧石器時代の絵画・彫刻であれ、歴史時代に入ってからの作品であれ、つねに現代の美的視点でとらえたものが美術の対象となるのである。造形されたものであるから美術品だとはいえないわけで、現代人の美的感覚に訴えるものこそ美術といえる。
美術は時代精神の表れ、といわれる。美術品が歴史資料として扱われるのはそのためで、歴史が人間の営みによって築かれたものである以上、美術が広い意味で人間の個人的・集団的行為を反映していることはいうまでもない。こういった美術活動を建築、絵画、彫刻、工芸などに分けて考察する方法は、近代になって美術史という学問が成立してから便宜的に分類された結果で、もともと細分化されたものでなく、相互に関連性をもったものであった。
[永井信一]
美術品は作者によってつくられたものであることはもちろんだが、日本の場合、作者の明らかなものは少ない。たとえば、飛鳥(あすか)時代の止利仏師(とりぶっし)の作とわかる奈良・法隆寺金堂の釈迦(しゃか)三尊像のような例はきわめてまれで、史書や古記録に仏師や画師(えし)の名は伝わっていても、どの作品がだれの作であるということを比定するのはむずかしい。わが国では、制作された当時においても、作者名を表に現さない風習があった。とくに仏像・仏画の場合、聖なる礼拝像は人がつくったものでなく、神や仏がつくったものという考えがあり、これは信仰的立場から偶像と信者との間をより密接に結び付けるために、媒介としての作者の存在を不要としたためである。このことはまた、仏像や仏画を美的対象とみなさなかったともいえるが、今日ではそれらの多くが美術品として優れていることも事実である。
ギリシアやローマの古代彫刻作品には、作者の知られているものが少なくない。これは、神像の彫刻を、当時の人々が信仰の対象としてだけでなく、美の対象としても受け入れていた証拠である。インド、中国、日本では作者はあくまで陰の存在であり、仏像・仏画の制作には個人の創意が無視されていたといえる。仏所の主宰者としての仏師の名が古くからみられるのに対し、画師の名前が表面に出るようになるのは宗教と絵画との結び付きが弱くなってからで、室町時代の雪舟(せっしゅう)らの出現によって初めて美術は宗教から解き放たれ、その流れはこののち引き継がれていった。
[永井信一]
東洋と西洋の美術のあり方、特質を比較すると、そこには大きな違いがあることがわかる。絵画を例にあげると、西洋は、合理的な思考で対象を見たままの形に写し取ろうとする傾向が強く、そのため描写技術に重点が置かれた。これに対して中国や日本では、描写の技巧より、対象物を通してそのものの精神を表現することを第一義にしている。そのため技術的な面は重視されず、絵は人なりと称して、画家は人格の陶冶(とうや)に努めた。作品からみても、西洋では宗教画、神話画、歴史画などで王侯貴族、英雄勇将などの肖像作品が主流を占めているが、東洋では「山水画」と称して自然を描出することが早くから行われ、人物もその自然を構成する対象の一つという見方が伝統的に存在する。
とくに四季の変化の美に恵まれた日本では、自然と一体になって生きることが人間らしい生き方とされ、自然に対して格別の親近感を抱いている。絵画に自然の草花や鳥・虫などを扱ったものが多く、工芸品の装飾にも自然を題材にしたものが積極的に用いられた。自然が美術の源であるという態度は、いまなお多くの美術家によって受け継がれている。
世界史の流れは、東西両洋の文化の交渉の歴史でもあるが、そのなかでいちばん具体的な実例は美術の分野といえよう。このことは、美が民族・国家を超えて普遍であることを物語っている。しかしその一方、美術ほどその国民性なり民族の特質を、簡潔にまた明確に表すものはないのである。ある国の国民性を的確に理解するには、その国の古今にわたる美術を見るのがいちばんだといわれる。今日、各国の交流が進み、外国を訪れる人の数はきわめて多くなってきた。世界各国は国・公立の博物館・美術館の増改築に力を入れて、一般の要望にこたえている。また、巨額の費用をかけて、貴重な美術品を遠くまで輸送し、かなり大規模な美術展が数多く開催されるようになっている。いずれも、美術が国と国、人と人との相互理解を深めるのに、いかに重要な役割を果たしているかの具体的な例といえよう。
[永井信一]
美術の一般への普及によって、社会生活のなかで美術の占める位置には大きな変革がもたらされ、近代社会のなかにあってもはや美術は欠かすことのできない存在となっている。そしてこの場合の美術は、美術を制作する側と、美術を享受する側、およびその中間にあって両者を媒介するものとによって成り立っているといえる。絵画や彫刻などの場合、作者の創作によって完成した作品は、画商の手を通して買い手に渡る。かつては特定の作家の作品のみがこの方法で売買されていたが、いまでは多くの画家の作品が画商を介して広く売られるようになった。そのため、特定の画家が特定の画商の独占であったのは昔のこととなり、多くの画商が数多くの画家の作品を扱うようになっている。個人の需要に応ずるだけでなく、美術館や博物館が作品を購入する場合も、画商を通すことが通常となっており、経済成長を遂げた日本にあっては、美術品購入の市場は海外にまで及んでいる。こうした美術の大衆化によって、美術家の玄人(くろうと)と素人(しろうと)の区別が判然としなくなっていることも事実である。画商を介して作品の制作を唯一の収入源としている作家を、いちおう美術のプロというならば、このような作家は、画家と称する人々のなかでもごく一部にしかすぎない。
多くの作家が作品を世に問う手段としては、美術団体の公募展に出品するか、画廊を借りて個展を催す方法によるのが普通である。美術団体の弊害を指摘されることが珍しくないが、作家の登竜門としての公募展は、作家と社会一般の間でそれなりの役割を果たしているといえるし、美術団体のなかには、日本の近・現代美術の進展に貢献した歴史的な評価をもっているものも少なくないのである。
そして、今日の美術界の水準は、この美術団体の活動によるところが大きい。美術団体の実質的な活動は、団体所属の会員数の大小によるものでなく、作家個々の作品の水準に帰するものである。美術団体は、おおむね結成時においては美術の革新を唱え、作家も決意に満ち、作品的にもその抱負にこたえるものがみられるが、回を重ねるにしたがって特色のないものに堕す傾向があり、近代・現代の美術の歴史はその繰り返しともいえる。しかし、それでもなお団体の存続することは、前述のように、作家として認められることを望む若年層の登竜門としての機能を有しているからである。美術団体を自己の芸術創造と活動の拠点とするためには、会員個人の自覚がかかっているといえる。
一方、美術の社会化、あるいは一般への普及によって、美術作品の複製技術は近年非常に進歩し、作品によっては一見オリジナルと区別しにくいものまでつくられるようになった。これはカラー写真、カラー印刷技術の進歩による成果だが、複製が盛行しているといっても無条件に行われているわけではなく、作者の権利は著作権法によって保護されている。
これに関連して、美術品(とくに絵画)においては、古今東西にわたり真贋(しんがん)という問題がおこっている。前述の複製品は、あくまでコピーないしリプロダクションであって、贋作ではない。贋作とは故意にある作品を原作に似せてつくったものである。この真贋の判定ということになると、たとえば専門家の鑑識が真贋の二つに分かれていずれとも決着がつかない場合があったとすれば、それが100%ほんものであるとも、またにせものであるとも、鑑定を下すことはむずかしい。美術の名品に贋作はつきものである。それは名品のもつ宿命といってよく、また、ある特定の作家の作品をつくるいわゆる偽作(ぎさく)家の存在は昔も今も変わらない。パリのルーブル美術館では展示作品の模写を一般に許可しているが、原作品と同じ大きさの模写は禁じており、これは贋作として利用されることの予防措置といえよう。現在では美術品の真贋鑑別には科学技術が応用されており、鑑別の一手段として十分に役だっているが、これが万全というところまでは至っていない。
こうした贋作が新聞記事に取り上げられたりして、社会問題となることがしばしばある。これは、おもに美術館・博物館などの公的機関が新しく美術品を購入する場合に多く、なかには贋作者が出現して美術館側の失態となったケースもあるが、このようなことは珍しく、たいていの場合は黒白いずれとも結論が出ず、問題が葬り去られることが多い。
[永井信一]
平面に色を用いて形態を制作したものが絵画で、立体化されたものが彫刻であるといった概念は、いまや過去のものとなりつつある。もちろん、既成の概念に沿って絵画・彫刻が存在し、美術の主流をなしていることは紛れもない事実であるが、固定した美の概念を破壊し新しいものを創造するところに美術本来の使命があるため、いつの時代にあっても前衛的な行動が作品となって現れることは当然である。絵画に限ってみても、1950年代に流行したアクション・ペインティングやアンフォルメルはいまや過去のものとなり、70年代後半にはインスタレーションとよぶ絵画・彫刻のジャンル以外の空間造形ともいうべきものや、人間の目の錯覚を利用した錯視(オプティカル・イリュージョン)の抽象芸術オプ・アートなどが、美術の概念を押し広げることとなった。こうした現象は次々と新しいものを生み出す起爆剤となり、美術の将来は予測しがたいものがある。人間の生活に根ざした情念を形や色によって表現したものをかりに美術と定義すれば、このような現代の美術の現象は肯定してしかるべきものである。そしてこの場合、これらが美術作品として永続性に耐えるか、それとも一過性のものであるか、そこに価値判断を持ち込むことは危険である。新旧の概念でとらえうる美術は、現代という限られた時代の人間精神を一時的に表現して時代とともに消えてゆくものと、時代を超えて人間精神の根源に触れて存続していくものとに分別されるべき両面性を備えているといってよい。
時代の変化、社会機構の多様化に伴い、美術の包含する範囲はますます広まりつつあるということができる。写真、映画、テレビ、ビデオなどはすでに絵画・彫刻と同列の地位を確保し、美術そのものが未来への大きな展望を示しているし、以上のジャンルを「映像」ということばでよぶようになってすでに久しい。同様なことはデザインについてもいえよう。デザインが「図案」とよばれ絵画と近接した関係をもっていたのは過去のことで、いまや都市計画や科学技術の分野にまで進出し、美術の範疇(はんちゅう)を超えて、科学と美術を総合した独自の世界を形成している。これを歴史的にみると、かつては王侯貴族の権威の象徴、あるいは宗教活動の手段の一つとして文化の一翼を担っていた美術、いわば特権階級によってはぐくまれ、一般庶民と距離を置けば置くほど貴いものとみなされてきた美術が、現代社会にあってはこの関係が逆転したということができる。現代においては美術は社会の共有となり、血の通った美の創造は、既成のパターンを切り崩し、身近なものとしてとらえられるようになっている。
文化現象の各種のジャンルのなかで美術がもっとも実質的な交流を果たしたことを上述したが、このことは現代においても変わらない。美術の交流が各民族、各地域の発展に著しい効果をもたらしたことも事実であるが、美術の世界性、国際性を現代の視点にたって反省してみると、相互交流より、民族性、地域性といった独自の性格を確立することが強く望まれるようになってきている。すなわち、日本美術にあっては、日本の伝統を現代に生かしたものこそが、世界の美術のなかにあって存在意義を有するのであって、皮相な欧米化した作品は日本美術の本質から外れたものといえよう。
作者の人生・生活・人間性が込められて初めて優れた作品といえるように、その国、その民族の伝統や歴史を切り捨てては、その国の美術、その民族の美術はありえない。現代の美術は広く社会のなかに根を下ろしている。社会生活、個人の日常にあって心の安らぎを与え、また活力の源泉になるものを美とみなせば、美術は美術館や画廊やアトリエばかりでなく、社会のあらゆる分野に存在しているといえる。美術は時代を映す鏡である。
[永井信一]
〈美術〉という語は東洋古来のものではなく,西洋でいうボーザールbeaux-arts(フランス語),ファイン・アーツfine arts(英語),ベレ・アルティbelle arti(イタリア語),シェーネ・キュンステschöne Künste(ドイツ語)などの直訳であり,日本では明治初期以降用いられた。美の表現を目的とする芸術を意味し,したがって絵画,彫刻,建築,工芸などのほか,詩歌,音楽,演劇,舞踊などをも含むものとされた。明治時代には文学も美術に加えられていた(坪内逍遥《小説総論》など)。しかし近年は,これを形体を創造する芸術,すなわち造形芸術に限定するようになっている。また美術品,美術家,美術館,美術批評などの語も造形美術に関してのみ用いられているが,それでもなお美術という概念の輪郭はきわめてあいまいである。たとえば,建築は除外される傾向にあり,東洋できわめて重要な意味をもつ書道や造園などは通常,美術に含めない。これは美術という概念がもともと西洋で,しかもある特定の時代の風潮の中から生まれたものであったためである。つまりこの概念は17世紀に発生し18世紀に一般化したものであり,当時の古典美礼賛の風潮(新古典主義)と結びついている。この時代には,感覚的価値としての美の定義が試みられ,自然美と芸術美が峻別されて両者のうち後者が人間精神の所産として優位にあるものとしてたたえられ(G.W.F. ヘーゲル),美の表現以外のものを目的としない純粋な芸術いわゆる〈芸術のための芸術l'art pour l'art〉(V. クーザンが命名)こそ真の芸術であるとされた。ここでいう芸術という概念も実はこのころ発生したのであり,語としては中世以来のアルスars(ラテン語),アール,アートart(フランス語,英語),アルテarte(イタリア語),クンストKunst(ドイツ語)がそのまま用いられて,それに新しい意味づけがされたのである。つまり中世以来,この語は〈技術〉〈巧みな仕上げ〉などの意味で用いられてきたが,それに新たに美を表現する術という意味づけがされ(今日でいう芸術),さらにこれを明確にするために〈美しい〉という語を加えて〈美術〉(ボーザールほか)という語が生まれたのである。そして美の表現をもっぱらの目的とする者,すなわちartist(美術家)とそうでない者,artisan(職人)との両者が区別され,前者を後者の上位に置いてこれをたたえたのである。しかし,美術が美の表現だけを目的とするものであるなら,建築や工芸など実用目的を第1にするものは厳密にいえばこれを除外しなければならないことになる。英語でいうart and craft(美術と工芸)は,工芸がその実用性ゆえに美術とは別のものであることを示すものである。建築においてはとくに機能性がきわめて重要であり,機能性をすべてとする見方さえ出てきており,これを美術に含めるべきかどうかは問題となろう。さらにまた宗教作品に関していえば,その造形の目的は美の表現にあるとはいえない。それは聖性や慈悲の表現であり,時には恐ろしいものの表現である。いわゆる〈美〉を積極的に拒否する場合もある。これらもいわゆる美術の範疇からは逸脱することになろう。
美とは目を楽しませるものとするような単純な定義は現在もなお多くの人が単純に信奉しているが,他方,美術史,考古学,民俗学などの発達によって〈造形作品〉に対する視野が著しく拡大した今日,ニグロ彫刻,北魏仏,禅画などを見ると,造形の目的はいわゆる美の表現とは別のところにあることが理解され,感覚的価値と精神的(宗教的・倫理的)価値とのかかわり合いが改めて問題になろう。西洋的な意味での美ないし美術の概念は,とくに東洋では必ずしも妥当しない。また,近年建築や工芸などの分野で,機能と美との関係が改めて問い直されており,美術という概念そのものの問直しが求められている。
→絵画 →芸術 →建築 →工芸 →彫刻 →美 →美学 →美術史
執筆者:柳 宗玄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…たとえば,コップの機能性や形態は本質的にはいつの時代でも変わらない。しかし,そのコップがひとたび〈工芸〉とみなされるとき,もともと工芸と混然一体となっていた〈美術〉が自己の完結的世界を築いて工芸から分離したため,それは〈小芸術〉とよばれたり,また機械工業が発達しコップの製造にも機械が利用されると,それは〈産業工芸〉とよばれたりしたのである。このように工芸は,いく通りにも定義されてきたために,今日その概念はあいまいになっている。…
※「美術」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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