改訂新版 世界大百科事典 「美里」の意味・わかりやすい解説
美里[町] (みさと)
熊本県中央部,下益城(しもましき)郡の町。2004年11月中央(ちゆうおう)町と砥用(ともち)町が合体して成立した。人口1万1388(2010)。
中央
美里町西部の旧町。下益城郡所属。1975年町制。人口5206(2000)。南部は九州山地に属する山地が占め,北部は釈迦院川,緑川の沖積低地となっている。主産業は農業で,米作を主体に畜産,ミカン・茶の栽培,施設園芸が行われている。釈迦院御坂石段は3333段で日本一。
執筆者:松橋 公治
砥用
美里町中東部の旧町。下益城郡所属。人口7763(2000)。緑川中流域を占め,南は九州山地の目丸山(1341m),京丈山(1473m),雁俣(かりまた)山(1315m)などに囲まれる。古来,熊本と延岡を結ぶ街道(現,国道218号線)の要地で,街道沿いに町並みが発達している。かつては五家荘方面の茶,シイタケと平野部の米,塩,干魚などの取引が盛んであった。町域の大半を山林が占め,杉,ヒノキの林業が盛んで,製材などの工場がある。農業は米作を中心に茶,タバコ,シイタケを栽培し,畜産も行われる。緑川にかかる霊台橋(重要文化財)は,1847年(弘化4)に築かれた幅4.6m,長さ29.3m,アーチ径間27.5mの石橋で,このほか雄滝亀(おたきかめ)橋や大窪橋などの石橋(水道橋)がある。また北境の甲佐岳の山腹に鎌倉期の木造釈迦如来像(重要文化財)のある古刹福城寺がある。緑川ダム,船津峡は矢部周辺県立自然公園に含まれる。
執筆者:鈴木 陽子
美里[町] (みさと)
宮城県中部,遠田郡の町。2006年1月小牛田(こごた)町と南郷(なんごう)町が合体して成立した。人口2万5190(2010)。
小牛田
美里町北西部の旧町。遠田郡所属。人口1万9611(2005)。江合(えあい)川,鳴瀬川にはさまれた低地を占める。かつての中心集落は江合川南岸に位置する本小牛田で,近世には石巻街道の宿駅としてにぎわい,六斎市が開かれていた。江合川舟運の河港でもあり,仙台藩の本石蔵,塩蔵が設けられていた。また鳴瀬川北岸の不動堂には藩の宿老後藤氏の要害が置かれた。大正以降,東北本線から石巻線,陸羽東線が分岐する交通の要地となり,小牛田駅前に市街地が発達した。駅前地区は第2次大戦後土地区画整理が行われ,東隣の涌谷町をしのぐ遠田郡の中心地に発展している。米作を中心とするが,養豚をはじめとする畜産も行われ,東北一の総合家畜市場がある。江合川南岸の北浦では,梨の栽培が盛ん。1960年代以降,電子部品,衣服,ゴムなどの中小工場が進出しているが,仙台,古川,石巻への通勤者も多い。北浦に山前遺跡(史)がある。
南郷
美里町南東部の旧町。遠田郡所属。人口6718(2005)。大崎平野の南東部にあり,鳴瀬川と江合川にはさまれた低地がほとんどを占める。低地にはかつて名鰭(なびれ)沼など沼沢地が広がっていたが,江戸時代中期に新田開発が進んだ。沼沢地のためたびたび水害に襲われ,治水対策をめぐって利害の対立する農民同士が流血事件を起こしたりもした。明治中期には,地主制の発達した仙北地方のなかでも小作地の拡大,地主の成長が著しいことで知られた。水田単作農家が多く,ササニシキなど良質米の産地である。
執筆者:千葉 立也
美里[町] (みさと)
美里(和歌山) (みさと)
美里(三重) (みさと)
→津[市]
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報