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義演【ぎえん】
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世界大百科事典 第2版の解説-
ぎえん【義演】
1558‐1626(永禄1‐寛永3)
安土桃山時代の僧。醍醐寺座主,三宝院門跡。東寺長者を兼ねる。関白左大臣二条晴良の子,母は伏見宮二品貞敦親王の女。幼にして将軍足利義昭の猶子となった。7歳のとき荘厳院義尭(九条政基の子)の付弟となり,義尭示寂後,理性院尭助の室に入り,14歳のとき報恩院雅厳について得度,1576年(天正4)醍醐寺座主,85年准三宮宣下をうけた。宣下の前日,実兄の二条昭実が関白を辞し,かわりに豊臣秀吉が関白になった。それは貴族社会に大きな衝撃を与えたが裏には義演の准三宮と秀吉の関白との政治的な取引があったと考えられている。・・・
▼義演について記述のある項目
三宝院【さんぼういん】 後七日御修法【ごしちにちみしゅほう】 醍醐寺新要録【だいごじしんようろく】
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朝日日本歴史人物事典の解説-
生年:
永禄1.8.20 (1558.10.1)
没年: 寛永3.閏4.21 (1626.6.15)
安土桃山・江戸初期の真言宗の僧,根来寺・醍醐寺座主,東寺長者,法務。室町幕府将軍足利義昭の猶子,父は関白二条晴良,母は伏見宮貞敦親王の娘位子。永禄12(1569)年醍醐寺に入り,深応,雅厳に師事。天正7(1579)年大僧正,同13年准三后となる。同19年豊臣秀吉建立の方広寺大仏殿地鎮のため不動護摩を修し,文禄1(1592)年朝鮮出兵の成功を祈って東寺で仁王経大法を修し,慶長3(1598)年方広寺大仏開眼供養に呪願師を勤めた。秀吉没後は東寺の後七日御修法を再興するなど,真言宗の興隆に力を尽くした。著作に『醍醐寺新要録』『義演准后日記』があり,当該期の政治・宗教史料として重要である。秀吉の援助を受けて荒廃していた醍醐寺を復興させ,聖教・記録を整理,保管し,後世に伝えた功績は大きい。<参考文献>中島俊司『醍醐寺略史』
(西口順子)
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