羽付村(読み)はつけむら

日本歴史地名大系 「羽付村」の解説

羽付村
はつけむら

[現在地名]浪江町羽付

北の白馬石しろうまいし山、南の山に挟まれた標高五〇〇メートル以上の高原地帯にあり、西は分水嶺を越えて二本松藩領安達郡田沢たざわ(現岩代町)、南は三春藩領田村郡葛尾かつらお(現葛尾村)。初め標葉しねは郷、元禄一〇年(一六九七)から山中さんちゆう郷に属した。明暦年間(一六五五―五八)に津島村から分村して成立したと伝える。明暦二年の高二八石余(相馬藩政史)。元禄郷帳では高二二石余。家数は元禄一〇年一二、延享元年(一七四四)八、天明三年(一七八三)八、同六年なし(浪江町史)


羽付村
はねつきむら

[現在地名]南陽市羽付

白鷹しらたか山塊南麓、漆山うるしやま村と和田わだ村の中間に位置する。天文七年(一五三八)の段銭古帳の屋代やしろ庄に「八〆九百仁十五文 はねつき」とある。近世初期の邑鑑に村名がみえ、高五三一石余、免二ツ三分、家数一一(うち役家三、肝煎・小走二)、人数四六、役木として紅花青苧をあげる。蒲生氏高目録帳では村柄は上。寛永八年分限帳によると当村に給地のある家臣は五名いる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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