( [ 二 ]について ) ( 1 )英語の Bible は紙の原料を意味するギリシア語 biblos に由来し、後に書物、特に聖なる書物を表わすようになったとされる。
( 2 )最初の日本語訳聖書は一八三七年シンガポールで出版された「約翰福音之伝」(キュツラフ訳)である。一八七二年には、各派合同の宣教師会議で「新約聖書」共同訳が決議され、同年末には「新約聖書馬可伝」「新約聖書約翰伝」が刊行された。「聖書」という語もその時期から用いられ始めたと思われる。一八七九年に全冊が完成するが、「旧約聖書」も約一〇年後に完成した。
ユダヤ教,キリスト教の聖典。英語のバイブルBibleなど,西欧語での聖書の呼称はギリシア語のビブリアbibliaに始まる。この語は紙の原料となるパピルスの茎の内皮を指すビブロスbiblosの指小辞ビブリオンbiblion(ビブリアは複数形)に由来し,小冊子や書物の一部という普通名詞であったが,キリスト教会において固有名詞化し,5世紀ごろから聖書全体がビブリアと呼ばれるようになった。聖書はイスラムの聖典コーランのような一人物を通しての天啓の書物とは異なって,古代イスラエル民族と原始キリスト教の長い歴史の流れの中で多くの人々の手になった多様な文書を収めている。聖書は旧約聖書Old Testamentと新約聖書New Testamentから構成されているが,この区別と名称は2世紀になって初期の教会が福音書や書簡などを,イエス・キリストによる〈新しい契約〉を啓示する書物の意味で新約聖書と呼び,ユダヤ教から継承した聖典をこれと区別して〈古い契約〉(《コリント人への第2の手紙》3:14)の意味で旧約聖書と呼ぶようになったことに由来する。イエスをメシア(救世主)とは認めないユダヤ教では,キリスト教会によって旧約聖書と名づけられた文書が唯一の聖典である。
旧約聖書はユダヤ教で成立したヘブライ原典では,〈律法(トーラー)〉〈預言者(ネビーイーム)〉〈諸書(ケスービーム)〉に区分され,この順に置かれている。ユダヤ教徒は日常的にはこの聖典を,その3区分の頭文字をとって〈タナハTanakh〉,または読誦を意味する〈ミクラーMiqra’〉と呼んでいる。原典の構成を邦訳聖書での書名で示せば次のようである。
(1)〈律法〉は《創世記》《出エジプト記》《レビ記》《民数記》《申命記》の5巻,(2)〈預言者〉はさらに〈前の預言者〉と〈後の預言者〉に区分されて,前者は《ヨシュア記》《士師記》《サムエル記》《列王紀》の4巻,後者は《イザヤ書》《エレミヤ書》《エゼキエル書》〈小預言者〉の4巻で,〈小預言者〉には《ホセア書》《ヨエル書》《アモス書》《オバデヤ書》《ヨナ書》《ミカ書》《ナホム書》《ハバクク書》《ゼパニヤ書》《ハガイ書》《ゼカリヤ書》《マラキ書》の12の小預言書が一括して収められている。(3)〈諸書〉には〈真理(エメス)〉の表題の下に,《詩篇》《箴言》《ヨブ記》が,また〈巻物(メギロース)〉の表題の下に,《雅歌》《ルツ記》《哀歌》《伝道の書》《エステル記》が置かれ,さらに表題なしに《ダニエル書》《エズラ・ネヘミヤ記》《歴代志》が置かれる。以上ヘブライ原典は合計24巻より成る。
ギリシア語訳(《七十人訳聖書》)はヘブライ原典と同じく律法書の優位を認めてこれを冒頭に置いているが,それ以外の部分に原典にはない文書(アポクリファ,後述)を含み,また原典にある書物についても,その配列と区分の仕方が原典とは異なっている。〈諸書〉は分解されて《ルツ記》や《歴代志》などの書物が〈前の預言者〉に加えられた。それによって《ヨシュア記》以下の一群の書物は預言書ではなく,歴史書として編成された。《哀歌》はエレミヤと関係させられ,《ダニエル書》が預言書の仲間入りをし,小預言書は12の書物として独立している。もっとも《七十人訳》の書物の配列は写本によってかなり相違しているが,4世紀の有力な写本(〈バチカン写本〉)では,全体が律法書,歴史書,文学書,預言書の順に4区分されている。
この区分と書物の編成はラテン語訳聖書(《ウルガタ》)に対応しており,これを経由して近代語訳聖書に受け継がれている。したがって今日の旧約聖書の配列は,(1)〈律法書〉5--《創世記》《出エジプト記》《レビ記》《民数記》《申命記》,(2)〈歴史書〉12--《ヨシュア記》《士師記》《ルツ記》《サムエル記》上・下,《列王紀》上・下,《歴代志》上・下,《エズラ記》《ネヘミヤ記》《エステル記》,(3)〈文学書〉5--《ヨブ記》《詩篇》《箴言》《伝道の書》《雅歌》,(4)〈預言書〉17--《イザヤ書》《エレミヤ書》《哀歌》《エゼキエル書》《ダニエル書》《ホセア書》《ヨエル書》《アモス書》《オバデヤ書》《ヨナ書》《ミカ書》《ナホム書》《ハバクク書》《ゼパニヤ書》《ハガイ書》《ゼカリヤ書》《マラキ書》,合計39巻編成である。
旧約聖書はイスラエル民族の歴史と歴史把握を根本に据えている。律法書の中心部分に置かれた〈モーセの律法〉の長い記述を別とすれば,《創世記》から《列王紀》下に及ぶ〈律法書〉および〈歴史書〉の内容は,天地創造と人類の展開,アブラハムに始まるイスラエル民族の前史からエジプト下りと脱出,荒野放浪,カナンでの定着,王国の形成と南北の王国への分裂,アッシリアとバビロニアによる両王国の滅亡と捕囚までを扱う大きな歴史叙述である。しかしこの歴史叙述は一般にいう歴史記述ではなく,救済史的な叙述であって,神に反抗する人類とこの民族の歴史の提示である。ことに執筆者たちはこの民族に対する神の選びと契約,この神の導きに対する民族の応答の失敗と再生の道を見つめている。このような歴史叙述を可能にする批判的な人間理解や歴史理解は,国家時代の問題状況や危機の中でヤハウェ主義的知識人たちのうちに形成されて,歴史叙述の諸資料が準備され,執筆された。また捕囚の現実の中で,民族史の反省的回顧が行われて,《申命記》から《列王紀》に至るまでの書物が編集・執筆された。他方,捕囚からの帰還後のユダヤ教団を指導した祭司階級は,生活秩序を儀礼的に確立する律法を整備し,〈律法書〉を完成させた。
〈預言書〉は,主として国家時代の中ごろから捕囚時代,神殿再建期にかけて個々に活動した預言者たちの発言を個別的に編集したものである。総じてアモスからエレミヤに至るまでの国家時代の預言者たちは,民族の伝統に立って,国家・社会・宗教を批判し主として神の審判を通告した。それに対して第2イザヤ(《イザヤ書》40~55)からゼカリヤに至る捕囚以後の預言者たちは,主として民族に対する終末論的救済を告げた。預言者は総じてイスラエルに独自な神義論を提起し発展させた。ユダヤ教時代には文筆活動が一段と活発化して,預言書への加筆や最終的な編集が行われたばかりでなく,《歴代志》そのほかの〈歴史書〉が執筆された。また信仰者としての個の確立と文芸意識の芽生えに伴って,多様な〈文学書〉が出現した。《詩篇》や《哀歌》などの神賛美や嘆きの歌集,男女の愛を美しく歌う《雅歌》,預言者的神義論を個人の苦難について展開した《ヨブ記》,黙示文学の嚆矢(こうし)となった《ダニエル書》など,それぞれが際だって個性的である。《ダニエル書》は前2世紀中葉のマカベア戦争を前提しており,旧約聖書の中で最も成立の遅い書物である。旧約聖書に収められた書物の多くは民族や個人の危機に際会して書かれている。ユダヤ教団の人々はこれらを会堂(シナゴーグ)で熱心に学び,また一部を礼拝で朗読したり歌うことを通して,困難な状況を生き抜く信仰とともに,民族としてのアイデンティティを確認したのであった。
新約聖書の構成は《七十人訳》にならっており,書物の配列は次のようである。(1)〈福音書〉4--《マタイによる福音書》《マルコによる福音書》《ルカによる福音書》《ヨハネによる福音書》,(2)〈歴史書〉1--《使徒行伝》,(3)〈手紙〉--(a)〈パウロの手紙〉13通--《ローマ人への手紙》《コリント人への第1・第2の手紙》《ガラテヤ人への手紙》《エペソ人への手紙》《ピリピ人への手紙》《コロサイ人への手紙》《テサロニケ人への第1・第2の手紙》《テモテへの第1・第2の手紙》《テトスへの手紙》《ピレモンへの手紙》,(b)《ヘブル人への手紙》,(c)《公同書簡》7通--《ヤコブの手紙》《ペテロの第1・第2の手紙》《ヨハネの第1・第2・第3の手紙》《ユダの手紙》,(4)〈黙示文学〉1--《ヨハネの黙示録》,合計27巻である。なお〈パウロの手紙〉とは,パウロの名が冠せられている手紙の呼称であって,パウロの実際の手紙であることを意味せず,そのうち6通はパウロの弟子たちが書いたと思われる。パウロの手紙であることが疑われないのは,《ローマ人》《コリント人第1・第2》《ガラテヤ人》《ピリピ人》《テサロニケ人第1》《ピレモン》の7通である。そのうち《テサロニケ人第1》の成立が新約文書では最も早く,後50年ころの執筆と推定され,最も遅いのが《ペテロ第2》で,2世紀中葉に書かれたと思われる。旧約聖書が最古の伝承の段階から最終的な成立まで約1000年を要したのに対して,新約文書は約100年の間に地中海東部の沿岸諸地域で執筆された。
新約聖書の出発点はイエスである。イエスは後30年前後の数年間に,義と愛による神の支配について人々に語り,正統的ユダヤ教の律法主義を批判した。イエスの死後弟子たちは,かなりの間記憶と想起によってイエスの言葉と業(わざ)とを語りつつ伝道した。やがて信頼できる口伝が記述されるようになり,イエスの召命から死と復活にいたるまでの言行を叙述する福音書が60年代から90年代の終りまでの間に書かれた。福音書はイエスの教えや活動の客観的で伝記的な叙述を意図してはいない。むしろイエスの言行の文書化の過程は,イエス解釈の過程であった。〈イエス・キリスト〉という語り方自体が,メシア(キリスト)としてのイエス理解を示している。福音書や《使徒行伝》を成立させた初期の信徒たちにおいては,地上のイエスと復活して天に挙げられたキリストは同一視されている。彼らは権威のあった旧約聖書を活用しつつ,イエスの誕生,伝道,受難,死,復活,弟子たちへの顕現,教会の出現,教会の主なるキリストの来臨と審判などの一連の事柄を意義づけた。
〈パウロの手紙〉もその焦点をイエスの十字架での死と復活および来臨に合わせている。パウロは律法主義者と対決し,キリストの死を人類の罪のゆるしとみなし,信仰による義を強調した。〈パウロの手紙〉は公開を目的として書かれたものではなかったが,内容の重要さのゆえに教会の間で交換され,写しが作られてしだいにまとめられた。〈パウロの手紙〉の圧倒的な影響の下に,彼の弟子たちの手紙や《ヘブル人への手紙》,そして《公同書簡》がいわば手紙形式のエッセーとして書かれたが,パウロの弟子たちの手紙は信仰の先達を手本とする生活の堅持を通しての教会形成を目ざしており,《ヘブル人への手紙》は大祭司キリスト論を展開する説教を試みるなど,それぞれ強調点がパウロとは違っている。《ヨハネの黙示録》は差し迫った終末のできごとについて,イエスを通しての黙示を伝える形で,信徒を圧迫する悪魔的なローマ帝国が滅びることを象徴的な筆致で述べ,信徒に道を開くキリストの死と勝利の意義を諸教会に説いて励ましを与えている。このように新約聖書の諸文書は,初期のキリスト教会においてさまざまに形成された伝承に基づいて,それぞれのイエス理解と福音の喜びとを人々に伝えようとする信仰の証言であった。
〈正典(カノン)〉とは信仰,生活,教義に基準を与える権威が教団によって公認された特別の書物のことであり,その他の書物との区別がなされる。ユダヤ教およびキリスト教はこのような正典概念を形成し,また維持した。ユダヤ教団では最も重要な〈律法〉は前4世紀中に,続いて〈預言者〉が前3世紀中ごろまでに正典化され,〈諸書〉は一部の書物についての議論を残しつつ前2世紀中にはだいたい公認されたと思われる。ヘブライ原典に属する書物がすべて最終的に正典として公認されたのは,後70~90年にヤムニア(ヤブネ)で開かれたラビたちの会議においてであったと思われる。ローマに対するユダヤ人の反乱(第1次ユダヤ戦争,66-73)は鎮圧され,ユダヤ教団の拠点であったエルサレムとその神殿は破壊されたばかりでなく,ユダヤ人の立入りが禁止された。このような状況に置かれたユダヤ教徒の指導者たちは,唯一依拠すべき正典の最終決定を迫られたのであった。ラビたちはこの会議での正典の決定に伴い,当時キリスト者が使用していた《七十人訳》に含まれている他の文書(アポクリファ)を正典から排除した。キリスト教会ではアポクリファは排除されず,むしろ聖人の功徳などの教義の典拠づけに用いられた。ローマ教会は対抗改革時代にアポクリファを〈第2正典〉として認めた(トリエント公会議,1546)。ギリシア正教会は《トビト書》など一部の書物の正典性を認めていたが(エルサレム主教会議,1672),近年アポクリファの全体を認めた(ギリシア教会会議,1950)。ロシア正教会は未決定である。プロテスタント教会はアポクリファの正典性を認めていないが,その教化的役割は認めてきた。
新約文書では,まず〈パウロの手紙〉や〈福音書〉が2世紀前半には旧約聖書に近い権威をもつようになり,次いで正典化された。〈パウロの手紙〉以外の書簡もしだいに公認されるようになったが,問題とされた文書もいくつか存した。西方教会ではことに《ヘブル人への手紙》が,東方教会では《ヨハネの黙示録》が認められず,西方教会でこの問題に一応の決着がついたのは,4世紀末になってからであった(ヒッポ会議,393。カルタゴ会議,397)。東方教会が新約文書の全体を公認するまでには,その後も数世紀を要した(コンスタンティノープル会議,692)。新約文書の正典化を促進した重要な動機として挙げられるのは,グノーシス主義者やマルキオンがイエスとパウロの独特な解釈を行い,とくにマルキオンが旧約聖書を排斥して簡略福音書を作成し,独自の排他的な正典を制定したことであった。
旧約聖書は一部(《ダニエル書》2:4~7:28,《エズラ記》4:8~6:18,7:12~7:26,《創世記》31:47,《エレミヤ書》10:11)のアラム語で書かれた個所を除いて,ヘブライ語で書かれている。新約聖書はヘレニズム世界の共通語であった民衆のギリシア語(コイネー)で書かれている。旧約聖書の本文はセム語の通例で子音字だけで書かれていたので,ヘブライ語が死語になってからは正しい読み方を示すくふうがなされ,6世紀ごろから10世紀にかけて,マソラ(伝承)学者によって母音を指示する字外音標つきの校訂本文が作成された。字外音標の方式は複雑に発達したが,その後に継承された〈マソラ本文〉はパレスティナのティベリアスを中心とする西方マソラ学派のものであり,中でもベン・アシェル家の作業による本文(〈ベン・アシェル本〉)が優位を占めた。その系統の完全な本文である〈レニングラード写本〉(1008)およびその4分の1が失われた〈アレッポ写本〉(930ころ)が最近の学問的校訂本の底本として使用されている。なお今日では各種の古代語訳とともに,1947年以後の数年間に死海北西岸のクムラン洞穴などから発見された,前2世紀から後2世紀にさかのぼる〈死海写本〉の読みが本文の校訂や批評のために参照されている。近年の完結したすぐれた学問的校訂本は,キッテル=カーレ編集の《ビブリア・ヘブライカ》(第3版1937,第7版1951)およびこれに代わるエリガー=ルドルフ編集の《ビブリア・ヘブライカ・シュトゥットガルテンシア》(1967-77)である。
新約聖書のギリシア語写本のうち,パピルス写本は大部分が断片的ではあるが,3~4世紀のものが最も多く,最古の写本断片は125年と推定される。そのうち〈チェスター・ビーティ・パピリ〉と〈ボードマー・パピリ〉は相当の分量があり,ことに前者はパウロなどの手紙10通の写本(200ころ)を含んでいる。近年の学問的校訂本のウェストコット=ホート版(1881),ネストレ版(1898,第24版1960以降はアーラントの校訂)などの底本として用いられているのは〈大文字写本〉と呼ばれ,アレクサンドリア本文型に属する4世紀の〈シナイ写本〉および〈バチカン写本〉が最も重視されている。〈小文字写本〉は9世紀以降のものである。なお聖書本文の最初の刊本は,ヘブライ原典が《ソンチノ完全聖書》(1488),新約原典がエラスムスの校訂本(1516)である。聖書の各書に対する現在のような章節づけは,16世紀にエティエンヌ(エティエンヌ父子)によってパリで印刷されたギリシア語・ラテン語新約聖書(1551)に始まり,フランス語訳聖書(1553)で旧約聖書にも及び,やがてヘブライ原典にも適用された(1571)。しかしヘブライ原典の章節と近代語訳聖書の章節は一部にずれがある。
執筆者:並木 浩一
〈外典(アポクリファ)〉の原語apokrypha(アポクリュファ)は〈隠されたもの〉を意味するギリシア語である。この言葉は,〈秘義的な教えを記しているゆえに特定の集団の外部に対して隠されるべき書物〉という意味でも用いられたが,やがて〈異端的内容のゆえに排除され隠されるべき書物〉という意味をもつに至った。古代教会においてはapokryphaは後者の意味で〈旧約偽典〉および〈新約外典〉を指すことが多く,〈旧約外典〉は〈教会の書物libri ecclesiastici〉などと呼ばれた。ルターが旧約外典を,〈Apokrypha,すなわち聖書と同様に扱うべきではないが,読んで有益な書物〉という標題とともにそのドイツ語訳聖書に収録して以来,これがプロテスタントの標準的な語法となった。これに対してカトリックは,1546年トリエント公会議において,ルターの外典を正典(正確には第2正典)とみなす立場を再確認した。その際,《第1・第4エズラ書》と《マナセの祈り》は,《ウルガタ》の〈補遺〉として巻末に別置され,正典から除かれた。
旧約外典は,ほぼ《七十人訳聖書》にあってヘブライ語旧約聖書に含まれなかった文書と一致する。それらは,(1)歴史・伝説--《第1・第2マカベア書》《第1エズラ書》《ユディト書》《ダニエル書への付加》《エステル記への付加》,(2)教訓的説話文学--《トビト書》,(3)知恵と教え--《ソロモンの知恵》《ベン・シラの知恵》《バルク書》《エレミヤの手紙》,(4)祈り--《マナセの祈り》,以上である。《七十人訳》に含まれる《第3・第4マカベア書》と《ソロモンの詩篇》は,普通偽典に数えられる。〈パレスティナをも含むヘレニズム世界において,前2世紀ごろから後1世紀ごろにかけて成立したユダヤ教文書で,ユダヤ教の正典(ヘブライ語旧約聖書)からは排除されたが,キリスト教会によって受け入れられ愛好されてきた文書〉というのが,旧約外典のおおまかな定義といえるであろう。
これに対して旧約偽典は〈正典にも外典にも属さない,ヘレニズム時代のユダヤ教文書〉(いわゆるラビ文献は除く)を指す。偽典は外典と,成立年代,地域,原語,いずれも区別はない。いずれもその大部分の原語はヘブライ語ないしアラム語,一部がギリシア語である。しかし外典がすべてギリシア語(一部ヘブライ語)で伝えられてきたのに対して,偽典はその一部のみがギリシア語で,他はエチオピア語,シリア語,古代教会スラブ語,ラテン語などの訳で伝えられており,偽典が特定の地域や集団においてのみ受け入れられていたことがうかがわれる。〈偽典〉の原語であるpseudepigrapha(プセウデピグラファ)は,古代教会においては,〈偽名の書〉つまり,古代イスラエルの著名人の名を著者名に用いた後代の偽書,それゆえ内容上も偽りの誤った教えを含む書物を意味した。近代以降,正典外の古代ユダヤ教文書を外典と偽典に分けるようになり,上述のごとき語法が一般化した。
旧約偽典のおもなものとして,(1)歴史・伝説--《第3マカベア書》《エレミヤ余録》《預言者の生涯》,(2)教訓的説話--《アリステアスの手紙》《アダムとイブの生涯》《ヨセフとアセナテ》《ヨベル書》《イザヤの殉教》,(3)知恵と教え--《12族長の遺訓》《アブラハムの遺訓》《ヨブの遺訓》《第4マカベア書》,(4)詩歌--《ソロモンの詩篇》,(5)黙示文学--《シビュラの託宣》《エチオピア語エノク書》《スラブ語エノク書》《第4エズラ書》《モーセの遺訓(昇天)》《シリア語・ギリシア語バルク書》などが挙げられる。旧約外典・偽典は,キリスト教の発生の歴史的な理解と解明のために,不可欠の資料である。
新約外典は,最終的に正典に入れられなかった古代教会の文書で,内容上あるいは文学形式上正典諸文書に類似し,みずから正典的であることを要求したものを指す(ただし,いわゆる使徒教父文書は別個に取り扱う)。その年代はだいたい後2世紀から5世紀までである。外典は正典の記事を補足・拡充・発展させる傾向をもち,空想的・通俗的な大衆文学の装いをとる場合が多いが,その際異端的教説,特にグノーシス主義的なものが見いだされる場合も多い。新約外典のおもなものは,(1)福音書--《ペテロ福音書》《ニコデモ福音書》《トマス福音書》《ヤコブ原福音書》《ヘブル人福音書》,(2)使徒行伝--《ペテロ行伝》《パウロ行伝》《アンデレ行伝》《トマス行伝》,(3)書簡--《ラオデキア人への手紙》《パウロとコリント人との往復書簡》《セネカとパウロの往復書簡》,(4)黙示文学--《イザヤの昇天》《ペテロ黙示録》《パウロ黙示録》《シビュラの託宣》,(5)詩歌--《ソロモンの頌歌》《ナハシュ派の詩篇》,(6)教え--《ペテロの宣教》などである。外典には,比較的古いイエスの語録伝承が保存されている可能性もある。また新約外典は新約聖書の中に認められる様式類型を拡大する傾向にある。さらに初期キリスト教史研究にとって新約外典は不可欠の資料である。
ところで,中世以降も多くの〈外典〉が〈発見〉され,あるいは生み出された(《偽マタイ福音書》《マリアの地獄めぐり》など)。これらはキリスト教徒大衆の心情を反映し,芸術などに与えた影響も大きい。外典という言葉はこのように拡大して用いられる場合もある。これらも含めて一般に経外文書の芸術・文学に対する影響は正典に優るとも劣らない。
執筆者:土岐 健治
聖書の古代語訳とは,近代各国語訳に対して用いられる場合と,旧約の標準本文としてユダヤ教団で伝承されてきた〈マソラ本文〉以外の非マソラ系古代本を含む場合がある。〈サマリア五経〉(あるいは〈サマリア五書〉)は後者の例であり,ヘブライ語の一方言としてのサマリア語で書かれ,ユダヤ教団からサマリア派教団の分離(前2世紀ころ)後,サマリア派教団の権威的正典として伝達されてきたもので,内容としては〈モーセ五書〉に《ヨシュア記》以後の歴史の要約を付したものである。現存写本で最も古いものは後11世紀以後のものであるが,この本文の型が紀元前に由来することは〈死海写本〉断片で確かめられる。
その他のセム語系の古代語訳としては,アラム語訳とシリア語訳とがあるが,前者は,バビロン捕囚以後ユダヤ教会堂(シナゴーグ)においてヘブライ語聖書朗読後,1節ないし3節ごとに口頭でアラム語に翻訳される習慣に由来し,それを〈タルグムtargum〉(複数形タルグミーム,〈翻訳〉の意)と呼んだ。紀元前すでに書き記し始められ,逐語訳と敷衍(ふえん)訳とが並存した。〈五書〉〈預言者〉〈諸書〉それぞれのタルグミームがあり,現存する最古のものは後2世紀のパレスティナに起源するものである。〈タルグム・オンケロス〉は,敷衍的要素を排した〈五書〉の改訂訳である。〈預言者〉の公認タルグムは〈タルグム・ヨナタン〉といわれる。シリア語訳は,後1~2世紀にパレスティナから東方に持ち込まれ,長期の改訂を経て,〈ペシッタ〉(〈単純〉の意)といわれる公認旧・新約聖書シリア語訳が後5世紀に完成した。このほか,フィロクセヌス版は新約に《詩篇》を付したもの,シロ・パレスティナ聖書と西方アラム語訳は,パレスティナの西方アラム語の方言による訳。新約聖書としてはヘラクレア版(後7世紀)がある。
インド・ヨーロッパ語系の古代語訳としては,ギリシア語訳とラテン語訳とがある。最古のギリシア語訳である《七十人訳聖書》のほか,前1世紀および後1世紀にそれぞれ《七十人訳》の改訂版が存在したことが〈死海写本〉によって知られ,後1世紀の改訂版が従来のテオドティオン訳と同定されつつある。後2世紀のユダヤ教徒訳としてはアクイラ訳,シュンマコス訳がある。これらとその他のギリシア語訳などを集大成したのがオリゲネスの《ヘクサプラ(六欄聖書)》である(後3世紀)。これらはその後諸地方本によって流布され,後4~5世紀の〈大文字写本〉に結実した。ラテン語訳は,《ウルガタ》に先立って,後2世紀より,ローマ帝国統治下の北アフリカ,イタリア,ガリア,スペインなどに《古ラテン語訳聖書(ウェトゥス・ラティナ)》が広まった。キプリアヌスの著作に最古の引用が残されており,その他の断片とともに現在校訂中である。このほか,コプト語訳は,旧・新約とも後3世紀にさかのぼる。エチオピア語訳は,後4世紀のキリスト教伝道に由来し,旧約は5~8世紀に徐々に,新約は6世紀に翻訳された。
執筆者:左近 淑
アルメニア語訳は正確さと写本の多いことで知られている。5世紀前半に修道士メスロプ・マシトツがメソポタミアで神学を学び,そのかたわらアルメニア語の新しい文字体系を考案した。聖書の翻訳は,410年ころからシリア語訳にもとづいて進められ,メスロプ・マシトツとその弟子がこの事業にたずさわった。新約についてはいったん翻訳が完成したのち,正確を期すためにローマにギリシア語写本を求めて改訳したと伝えられる(433ころ)。なお一説によれば,当時のアルメニア教会の首長カトリコスのサハクSahak(イサアクIsaak)がこの事業を後援しただけでなく,みずから翻訳に手をくだしたともいわれる。アルメニア語訳は新・旧約のほか,多数の外典を含む。新約は8世紀までに改訂が行われたが,その原本がシリア語かギリシア語かをめぐって,今なお論争が続いている。アルメニアの隣国で,やはり早くからキリスト教を受け入れ,独自の文字体系を有したグルジアでも,古くから聖書の翻訳が行われたが,その間の経緯は伝わっていない。だがグルジア語訳聖書の最古の写本は9世紀末にさかのぼる。
スラブ語訳は,マケドニア,ブルガリア,セルビアなど南スラブ,ロシア,ウクライナなど東スラブの民族の文化形成に大きな役割を果たした。現在なお各国の正教会では,中世の翻訳を多少改訂した教会スラブ語の聖書を典礼で用いている。最初の翻訳は〈スラブ人の使徒〉と呼ばれるテッサロニキ出身のギリシア人キュリロスとメトディオスの手になる。二人は9世紀後半,モラビアのスラブ人への布教の目的で,まずスラブ語を表記する文字(グラゴール文字と呼ばれる。しばしば誤ってキリル文字と混同される)を考案し,次いで典礼書と聖書の一部をスラブ語に翻訳した。定本としたのは,当時のビザンティン教会で使用されたギリシア語の日誦用福音書であったと考えられる。このようにして成立したスラブ人のための翻訳言語を古代教会スラブ語と呼ぶが,これは成立の事情からして南のスラブ人の言語の特徴を有するので,古代ブルガリア語または古代マケドニア語の名称も用いられる。新約全体の翻訳はモラビアで完成し,旧約はのちメトディオスによって完訳されたが,同時代の写本は現存しない。キュリロスとメトディオス兄弟の翻訳はその後弟子たちによって手が加えられた。だが11世紀以降の写本で判断するかぎり,翻訳の質は高かったといえよう。
執筆者:森安 達也
中世においても,当時ヨーロッパ各国教会で公認のラテン語訳聖書《ウルガタ》にもとづき,これを逐語訳ないし意訳・翻案することがおもに《詩篇》や福音書などについて行われていたが,近代各国語による聖書完訳が本格化するのは宗教改革を待たねばならなかった。ただし,ドイツにおいては最初のドイツ語完訳聖書《メンテル聖書》が1466年に出版され,イギリスにおいても14世紀末ウィクリフの提唱のもとに一門の人々が完成した全訳《ウィクリフ派英訳聖書》(1385ころ,改訳1395ころ)が見られるが,その完成後直ちに教会当局の厳しい弾圧を受けたこと,またなお印刷期以前であったため,この英訳聖書は広く流布するに至らなかった。
中世における聖書翻訳がいずれもラテン語訳聖書からの重訳であり,おもに写本の形で限られた範囲内の流布にとどまったのに対して,原典であるヘブライ語旧約聖書,ギリシア語新約聖書からの直接訳を試み,印刷本として広く流布される近代語聖書翻訳は,《ルター訳聖書》(新約1522,完訳1534)を嚆矢とする。これに踵(くびす)を接してイギリスの《ティンダル訳新約聖書》(1624)をはじめ,オランダ,デンマーク,スウェーデン,フィンランドなどで近代語訳聖書翻訳の気運が滔々(とうとう)として起こった。とくにイギリスでは,16世紀の間に約10種に及ぶ英訳聖書が相次いで出版された。おもなものは,プロテスタント系の《カバデル訳聖書》(1535),《大聖書》(1539),《ジュネーブ聖書》(1560),《主教聖書》(1568)であり,また唯一のカトリック系訳として《リームズ・ドゥエー聖書》(新約1582,完訳1610)がある。
そして,これらの英訳聖書の頂点に立つのが1611年刊行の《欽定訳聖書》である。これはジェームズ1世の命を受けて,当代を代表する五十数名の聖職者・学者が周到な計画のもとに,《ティンダル訳》以来の既刊の英訳聖書の長を採り短を補って訳出したもので,シェークスピアの英語と並んで近代英語の性格を決定したと評される名訳であり,英米人の精神・思想・感情生活に大きな影響を与えた。その簡素で古典的な魅力ある文体は,3世紀半をこえた今日においても英米人の愛誦してやまないところだが,この間の英語の少なからぬ変化と聖書本文批評の進歩は,時代に即応した新訳を要求することになった。とくに19世紀末,《欽定訳》の〈改訳〉が公刊されて後は,新訳・改訂訳が相次いで試みられ,20世紀の間に50種類に及ぶ英訳聖書が英米で刊行されている。その中でとくに注目すべきは,《欽定訳》の伝統を可能なかぎり尊重しつつ,これに必要最少限の現代化を試みたアメリカの《改訂標準訳聖書》(新約1946,完訳1952-57)と,これに対して《欽定訳》の伝統をあえて絶ち現代イギリス英語で訳出した格調ある《新英語聖書》(新約1961,完訳1970),およびアメリカ聖書協会版のアメリカ口語訳《現代英訳聖書》(新約1966,完訳1976)である。《改訂標準訳》はアメリカ・プロテスタントの公認訳として計画されたが,イギリス・カトリック教会はまもなくこれにわずかな変更を加えてその公認訳とした。また《現代英訳》に範をとったものが,ドイツ語版(新約1967,完訳1982),フランス語版(新約1971),オランダ語版(新約1972)として出版されている。
英米以外に目を転じると,ドイツでは《ルター訳》の現代改訂版のほか,スイス改革派の《チューリヒ聖書》(1954)やカトリック系の《グリューネワルト聖書》(1924-26),《ヘルダー聖書》(1965)などが注目をひく。フランスでは,近代初期に新・旧両派の対立がとくにはげしく,聖書翻訳が当局の強い圧迫を受けたため,イギリスにおける《欽定訳》,ドイツにおける《ルター訳》のような古典的標準訳は育たなかったが,現代フランス語訳としては《スゴン訳聖書》(1880)などのほか,正確で名訳と評される《エルサレム聖書》が出色であり,これを範として英語版とドイツ語版が1966年に刊行されている。フランス語訳では,新・旧両派の協力になる《共同訳》(新約1972)も注目される。
なお日本では,ドイツ生れの宣教師ギュツラフによるヨハネ伝《約翰福音之伝》(1837)が最初の日本語訳といわれる。本文はかたかなで,神をゴクラク,ロゴスをカシコイモノ,聖霊をカミと訳している。キリシタン禁令解除後の最初の完訳聖書は《合同訳》(新約1880,旧約1888)で,明治期の日本文化・思想の形成に大きな影響を与えた。これを改訂した流麗な《文語訳聖書》(1917)は今なお愛誦する人が少なくない。その後時代の要請に応じ,日本聖書協会による《口語訳聖書》(新約1954,完訳1955)のほか,聖書学者とくに無教会派の人々によるすぐれた個人訳が公刊されており,またカトリック系ではバルバロ=デル・コル訳《口語聖書》(新約1953,完訳1964)などがあり,さらに新・旧両派合同による《新約聖書共同訳》(1978)が新しい聖書翻訳の試みとして注目を受けている。
執筆者:寺澤 芳雄
聖書は解釈不要の神託書ではない。語られ伝えられた記録(伝承)を特定の時代の宗団に意味あらしめる行為がつねになされた。聖書解釈はすでに旧約聖書の中でも預言者などによって行われた。ユダヤ教の解釈の中心は生活への教示であったが,黙示論的解釈もあり,アレクサンドリアなどでは比喩的解釈も行われた。新約聖書では予型論的解釈が行われ,イエスの救済を原型(アンティテュポス)とし,旧約にその予型(テュポス)が見られるとして,旧・新約聖書の約束-成就の関係を明瞭にした。後2世紀,マルキオンなどの字義的解釈に対抗し,旧・新約聖書の統体性を維持したのはこの解釈による。
3~5世紀の解釈論争の中心は,アレクサンドリア学派対アンティオキア学派の対立である。前者の中心オリゲネスは,聖書が非道徳的,反理性的だとの非難を反駁(はんばく)するため,プラトン哲学を援用し,体・魂・霊に対応する字義的・信仰的・秘義的(比喩的)解釈を主張した。これに対して,アンティオキア学派は,アリストテレス哲学に拠り,ユダヤ教学者の影響も受けて,聖書の啓示の歴史的事実性を強調した。アウグスティヌスをはじめ,古代末期から中世の西方教会は,一方において,この比喩的解釈を発展・体系化した。聖書の4重の意味,(1)字義的・歴史的,(2)比喩的,(3)転義的・倫理的,(4)象徴的・隠喩的・天的啓示的意味が聖書の全章節に適用された。これに対し,ドミニコ会などを中心として聖書の字義的意味の重要性の主張も並行した。中世末期に至ると,ユダヤ人学者,人文主義者の影響で聖書の文法的・字義的解釈が盛んとなった。
16世紀の宗教改革者の解釈は聖書を文法的解釈によってとらえ,その福音の真理を教権および教会伝承の上位に置いた。その後,それは教理として固定化され,プロテスタント正統主義となった。この教理,信条の固定化に対して起こったのが,会衆派教会や敬虔主義を背景とする反信条的な聖書主義である。他方,17世紀の合理主義,18世紀の啓蒙主義の影響の下に聖書の批判的研究が成立し,文法的・歴史的解釈がそれまでの教理神学から独立した。その代表者がガーブラーJohann Philipp Gabler(1753-1826)である。とくに19世紀末以来第1次世界大戦まで,時代思潮の影響の下に進歩史観にもとづく聖書宗教思想の解釈が風靡(ふうび)した。この近代主義に反発したのが,ファンダメンタリズムといわれるアメリカに始まった運動であり,聖書の霊感と無謬(むびゆう)性,キリストの神性と処女降誕,代理的贖罪(しよくざい),体のよみがえり,再臨の五つの根本教理を堅持し,他を自由主義者と呼んで区別した。第1次大戦後の進歩主義への幻滅と人間の問題性の深い認識は,聖書の歴史的解釈の限界を自覚させ,実存主義的・神学的解釈を生み出した。最近では,このほか構造主義的解釈,文芸学的・共時的解釈などが行われ,新しい解釈への展開が見られる。
→キリスト教 →聖書学 →ユダヤ教
執筆者:左近 淑
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
キリスト教の正典。英語のバイブルBibleという語は、古代の紙の原料とされたパピルスの芯(しん)を意味するギリシア語のビブロスbiblosに由来する。このパピルスの巻物に文字を記したものをbiblionとよび、書物の意味となった。その複数形がラテン語化してbibliaとなり、とくに聖なる書物を表すようになったものである。
聖書には『旧約聖書』Old Testamentと『新約聖書』New Testamentがあるが、その「約」は、「契約」を意味する文字である。キリストの最後の晩餐(ばんさん)の場面には、十字架の血が、神と人間とのあいだの新しい契約となることが述べられている。
このキリストの新しい契約に関する書物を『新約聖書』とよび、ユダヤ教の経典であったものを救主(すくいぬし)キリストの準備の書として『旧約聖書』とし、あわせてキリスト教のカノン(正典)とした。
[赤司道雄]
「旧約」ということばはキリスト者のことばで、ユダヤ教徒は、これを内容に従って「タナッハ」Tanachとよぶ。「律法」Torah、「預言書」Nabi‘im、「諸書」Chethubimの頭文字をあわせたものである。
[赤司道雄]
『旧約聖書』各書の成立過程とその構成を知るには、歴史的背景の理解が必要である。
エジプトの奴隷であったヘブライ諸族は、紀元前13世紀、モーセに率いられてカナーンに解放の地を求め、エジプトを脱出する。この困難な事業を果たすため、モーセは、彼らの共通の祖アブラハム、イサク、ヤコブの神、ヤーウェを唯一の神として拝むこと、ヤーウェは彼らをとくに選んだ民イスラエルとして民祖への約束であるカナーンの地を与えることを説き、民族一神教と選民信仰の基礎を据えた。モーセは、ヨルダン川の対岸に南部最大のオアシスの町エリコを目前にして死ぬが、その遺志はヨシュアに受け継がれ、ヨルダン川を渡りカナーン征服に向かう。イスラエル十二支族は、それぞれの指導者である士師(しし)(裁き人)のもとに協力しながら原住民を征服し、カナーン全域を各支族に分けて定着していく。これが前12~前11世紀の士師時代である。
このころ、ペリシテが西岸から侵入し、カナーンはペリシテ人の地――パレスチナ――とよばれるようになる。これに対抗するため全支族を統率する王の出現が望まれ、十二支族の宗教連合はサウル王のもとに国家となる。
サウルは戦いに敗れ、在位11年で自決、王位はダビデに継がれる。前1000年ごろである。ダビデはペリシテ人を破り、全カナーンを征服して、ここにイスラエル統一王朝がなる。この安定したイスラエル王国を継いで内政・外交に手腕を発揮したのが、前960年ごろから40年間にわたって統治したソロモン王である。彼はエルサレムに神殿と王宮を建て、全国に堅固な要塞(ようさい)都市を建設する。
しかし、この2代のイスラエル黄金時代も、ソロモンの死後、王位継承争いにより南ユダ王国と北イスラエル王国に分裂し、国力はしだいに弱まる。前721年アッシリアは北イスラエルを占領する。このアッシリアにかわって台頭したバビロニアは、前586年南ユダを滅ぼしてしまう。エルサレムは破壊され、多くのユダの民は捕らわれの身となり、バビロニアに連行される。これを「バビロン捕囚」とよび、イスラエル宗教史は大きな転換を遂げる。
前538年、バビロニアにかわって地中海世界に領土を広げたペルシアは、捕囚のユダヤ人を解放、帰国させる。前331年のペルシアの滅亡後も、ギリシア前期エジプトのプトレマイオス王朝はユダヤ教を保護する。しかし前202年以後シリアのセレウコス王朝はユダヤ教を迫害し、前160年ごろユダヤは独立戦争によりハスモン王朝を興す。しかし前63年にはローマに占領され、イエスの時代に至る。
[赤司道雄]
『旧約聖書』は律法、預言書、諸書よりなる。律法とは、『旧約聖書』の最初の五書「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数(みんすう)記」「申命(しんめい)記」のことである。「創世記」は、天地創造譚(たん)、アダムとイブ、カインとアベル、ノア、バベルの塔の伝説が記され、イスラエル民祖、12族長の物語などで構成されている。第二の「出エジプト記」から第五の「申命記」までは、モーセの出生から死までの間に、シナイ山その他で神からモーセを通じて与えられた律法が編纂(へんさん)されている。したがってこの五書は「モーセ五書」または「モーセの律法」といわれ、前400年ごろユダヤ教最初の経典(カノン)となった。
「創世記」「出エジプト記」の伝承は、おもに神名を、「ヤーウェ」とよぶ「ヤーウィスト」Jahwist(略号J)、「エロヒム」とよぶ「エロヒスト」Elohist(略号E)と名づけられる資料からなり、前者は前10世紀なかば、後者は前8世紀なかばに成立した。Jは民族信仰に貫かれ、Eはこれに倫理的宗教観が加味されている。「出エジプト記」20~23章にある「モーセの十戒」「契約の書」はEの作者の手になる。前621年ヨシア王により「申命記(申(かさ)ねての命令)法」Deuteronomium(D)が定められ、「申命記」5~25章、28章に置かれた。「レビ記」「民数記」は、前500年ごろ祭司によりまとめられた「祭司法典」Priester Kodex(P)で、この作者が律法全体の編纂者であり、五書各所に筆を施している。このように「律法」は、J、E、D、Pの四資料より構成されている。
預言書は前300年ごろまでに編集され、ユダヤ教第二の経典となった。「イザヤ」「エレミヤ」「エゼキエル」の三大預言書、「ホセア」以下12の小預言書と、この編集のときその前に置かれた「ヨシュア記」「士師記」「サムエル記」上下、「列王紀」上下の四書を前預言書とし、あわせて預言者の名で聖典とした。
預言者とは、イスラエルでは、神のことばを預(あず)かって民に伝える指導者で、モーセもサムエルもこうよばれた。この15の預言者は、そのことばが記録され聖書に収録されたもので、「記述的預言者」Canonical Prophetsとよばれる。アモスの出現は前760年ごろで、イスラエル、ユダの社会の乱れを鋭く批判し、神の懲罰を説いた。民族信仰が単純にヤーウェは民イスラエルを助けるとしたのに対し、神は義の神であるからその民も義の民でなければならないとし、神を拝する道は儀礼ではなく公正を世に行うことであると説いた。このように宗教に明確な倫理的性格を与えたのが、アモスに始まるホセア、ミカ、イザヤ、ゼパニヤ、エレミヤらの捕囚以前の預言者で、ユダヤ教の第二の特色となる。ナホム、ハバククの2人だけは民族信仰を鼓吹し、国際的危機にヤーウェの助けを預言した。
エゼキエルは捕囚前から捕囚にかけて預言し、アモスの系列にたちながらも、捕囚中はユダヤの民を励ました。捕囚は民族信仰を動揺させ、多くのユダヤ人はヤーウェの信仰を離れた。「イザヤ書」40~55章に収められた第二イザヤの預言は、慰めと励ましの預言であり、義の生活を保つことによってヤーウェの救いが約束されると説いた。そのなかに「苦難の僕(しもべ)の歌」といわれるものがあるが、民の苦難は贖罪(しょくざい)の苦悩であるとする思想によって、キリスト教では、キリストの預言とみられている。捕囚後の預言者ハガイ、ゼカリヤ、マラキは、捕囚後の新生ユダヤのなかにある社会悪を批判しながらも、エルサレムの復興を激励している。
前預言書のうち「ヨシュア記」は、モーセの後継者ヨシュアに古代の英雄物語をあわせたもので、この士師時代の歴史は、各支族の士師を中心とした記録を編集した「士師記」によるほうが確かである。「士師記」5章の「デボラの歌」は前1150年ごろの実際の戦闘の目撃者のつくった歌で、旧約最古の資料の一つである。「サムエル記」は、12支族の精神的指導者サムエルに油注がれて王となったサウルとダビデの物語、「列王紀」はソロモン以後の列王の記録である。ソロモン時代以後は王朝に書記局が設けられ、ダビデの言い伝えとともに歴史的信憑(しんぴょう)度は高い。この四つの歴史書は、「申命記法」をつくった学派の中の歴史家、「申命記」的歴史家Deuteronomistとよばれ、預言者の倫理性を受けた歴史観にたつ。
「諸書」とよばれる残りの書は、捕囚以後に成立したもので、神殿、会堂などで用いられてはいたが、ユダヤ教の正典とされるようになったのは紀元後のことである。日本語聖書の配列はユダヤ教の「律法」「預言書」「諸書」の順序とは異なる。これは、前3世紀のヘレニズム世界で、ヘブライ語聖書がギリシア語に翻訳されたときの順序に由来する。この訳は72人の学者によって行われたと伝えられ、『セプトゥアギンタ』Septuaginta(『七十人訳聖書』)とよばれた。これには、のちに正典から外された「旧約外典」「偽典」も含まれている。キリスト教会ではこの『セプトゥアギンタ』をもとにラテン訳『ブルガータ訳聖書』をつくり、それがキリスト教会の『旧約聖書』の配列を決定したのである。
捕囚以後のユダヤは、ペルシア、ギリシア初期のユダヤ教保護の政策のもとに宗教国家となり、祭司長を首長としながら発展した。先の「律法」「預言書」の編纂による正典の決定、多種にわたる宗教文書の成立にこれをみることができる。預言書といわれるもののなかにも「ヨエル書」「オバデヤ書」「ヨナ書」「ゼカリヤ書」などは文学的性格が強い。「ルツ記」は文学的な物語である。
「歴代誌」上下、「エズラ記」、「ネヘミヤ記」は、歴代誌記者Chroniclerとよばれる前4世紀の歴史家の一連の編著である。「歴代誌」は、捕囚前の歴史を改めて新しい歴史観で編集し直し、捕囚の終わりまでをつづる。歴代の王の事績は、神に忠実であったか、これに背(そむ)いたかという観点から懺悔(ざんげ)史的に回顧、反省されている。また、捕囚以後の平和主義、反戦主義的な立場は、ダビデの取り扱いによく表れている。このイスラエルの最大の王が神殿を建てなかったのは、多くの血を流したためであり、神殿は「平安と静穏」の時代の王ソロモンによって成る、とされている(上22章6~10)。エズラ、ネヘミヤは、前5世紀なかばにペルシアから帰国した文(ふみ)の学者と総督であり、この2人の手で組織教団としてのユダヤ教が成立する(前444)。2人のそれぞれの手記が「エズラ記」「ネヘミヤ記」に資料として用いられている。「ヨブ記」「箴言(しんげん)」「伝道の書」は「知恵文学」といわれる。捕囚以後のユダヤ教の中心は祭司であった。しかし彼らは貴族階級となり、民衆から離れていった。このときに一般信徒の知識階級から「知恵の教師」とよばれる人々が出て、神殿とは別に会堂を全国に建て、ユダヤ教一般民衆の指導者となった。ユダヤ教は一面では占領者の保護政策のもとに成熟期を迎えていた。しかしこの政策は、地中海世界のつねに動揺する国際状勢のもとで、ユダヤに平穏を保たせるためのものであった。異国の占領下、しかもユダヤを挟むペルシア、エジプト、ギリシアの対立下の軍隊の往来などで民衆の生活は圧迫され、信仰を離れ世俗化した人々が栄える反面、敬虔(けいけん)なユダヤ教徒は不遇に苦しんでいた。義(ただ)しい信仰者をなぜ神は苦しめるのか、こうした疑念がユダヤ教徒の心を覆っていた。「ヨブ記」は、「完(まった)く正しい」ヨブが受ける苦悩をテーマとする対話詩劇である。このスケプティシズム(懐疑主義)は、「空(くう)の空、空の空、いっさいは空である」ということばに始まる「伝道の書」で極端に達する。ユダヤ教、キリスト教の聖書には異質とも思えるペシミズム、ニヒリズムが、民衆の心をくもうとした1人の「知恵の教師」の手でこの文書をものしたのである。
「箴言」は、正しい敬虔な者が幸せを得るには、世の知恵、処世の道を知らなければならないとして、古今東西の格言を集め、「知恵」、慎み、たしなみを教えようとしたものである。「箴言」と「伝道の書」がソロモンの名を冠するのは、ソロモンが知恵の王とされ、人の知恵は神がソロモンを通じて与えたものという信仰による。
「詩篇(しへん)」は、「雅歌(がか)」「哀歌」とともに詩文学に数えられる、捕囚以後の多様な文学形式の一つである。詩150篇は、ペルシア時代からギリシア時代にわたり、捕囚以前から伝わる詩と新作の歌とをあわせて、3次にわたり編集され、ギリシア時代後期にモーセ五書に倣って五部にまとめられた。このなかにはダビデに帰せられるものが多いが、これはダビデが歌と音楽の王とされているからである。「詩篇」は神殿で聖歌隊によって歌われる賛歌であるが、ことに初期のものは、会堂内で歌われたものが神殿礼拝用に取り入れられたものが多い。第一次編集(3~41篇)には「嘆きの歌」といわれるものが多いが、これは「ヨブ記」に集約される義しく敬虔なユダヤ教庶民の苦しみを神に訴えるものである。第二次(42~89篇)、第三次(90~150篇)と編集が加えられるにしたがって、信頼・感謝の歌、預言者的・知恵文学的な歌の数が増える。これは、信徒の信仰の動揺を教え諭(さと)し、神への信頼を固めようとするユダヤ教の精神史の流れと一致する。「知恵の教師」は律法学者のグループを生み、彼らによって律法をたたえる律法主義的な歌がつくられるようになる。最終の編纂者は冒頭に律法主義の歌を置き、最終五篇をハレルヤ(ヤーウェをほめたたえよ)の詩で結んでいる。
「ダニエル書」は典型的な黙示文学である。旧約の預言者には終末における神の審判を説く傾向はあったが、それは来世観とは結び付かない。イスラエル思想は本来的に宗教史には珍しい現世主義である。しかし、ギリシア時代後期のセレウコス王朝によるユダヤ教の迫害は、教徒に平和主義を捨てさせると同時に、宗教思想のうえでも、ペルシア的な終末観の形成を助けた。すなわち、この世を悪の支配とみて、これが終わって新しい神の支配がくるという思想である。「ダニエル書」は『旧約聖書』の最後の書物で、前165年ごろセレウコス王朝の圧迫下にユダヤの救いを、終末観にたち、黙示文学の形で著したものである。黙示とは、神のひそかな啓示の意味で、時代をバビロニアおよびペルシアの時代にとり、義人にして賢者ダニエルへの黙示のなかに、夢の解明というような形で支配者の目を逃れながら、ユダヤ教徒の期待を表現しようとしたものであり、「ダニエル書」に初めて、きたるべき国の王メシアの姿が描かれている。黙示文学的表現は、『旧約聖書』のなかでは、ほかに「ゼカリヤ書」の後半加筆の部分、「ヨエル書」の加筆部分にみられる。旧約以後新約に至るまでの「旧約外典」「偽典」には多くの黙示文学がある。
[赤司道雄]
先に述べたように「新約」とは、イエス・キリストを通じての新しい契約である。この意味で『新約聖書』とは、キリスト(救主(すくいぬし))による人間の救済に関する書物である。だからここには、歴史上の人物であるイエスのことばや行いばかりでなく、それ以上に、救主(キリスト)あるいは救いということに関する信仰上の教えが記されているのである。
[赤司道雄]
イエスの言行を伝える書物は、『新約聖書』のなかでは、初めの四つの書物だけであるといえる。それは、救主であるイエスが人々にもたらした神の国の幸福の音信(いんしん)について記したということから「福音(ふくいん)書」とよばれる。このうち「マタイ伝福音書」「マルコ伝福音書」「ルカ伝福音書」は、「共観福音書」Synoptic Gospelsとよばれる。それは、共通の資料を用いて、ガリラヤを中心とする伝道からエルサレムでの死というイエスの生涯の流れを共通の視点から述べているからである。ただ福音書は伝記ではなく、イエスの言行をもとに、イエスがキリストであることを宣教する目的で著されたもので、それぞれ異なった立場で資料を取り扱っている。共観福音書は資料「原マルコ」Urmarkusが最古の「マルコ伝福音書」のもととなり、これがマタイにもルカにも取り入れられている。またマタイ、ルカには共通の原資料Quelle(福音書学では略称Q)と名づけられるイエスの語録があり、このほかマタイ、ルカにはそれぞれ特有のM、Lと名づけられた資料があり、4資料説といわれる。これらの資料が、マタイではユダヤ的立場から、ルカではヘレニズム的解釈によって編纂(へんさん)されている。さらに前出の四資料のもとには、イエスの直弟子から伝わった口伝資料が推定される。これをそれぞれの「生活の座」Sitz im Lebenに基づく説話の様式から史的に分析する様式史的研究Formgeschichteが、20世紀に福音書研究を一歩前進させた。
「ヨハネ伝福音書」は、共観福音書が紀元60~70年に著されたのに対して、キリスト教がヨーロッパにも根を下ろし、教会制度が整備され始めた2世紀の初めに著されたものである。初代教会の指導者長老のヨハネは、共観福音書と、師のイエスの直弟子ヨハネのことばをもとに、イエスの活動を編んだが、その基礎には神の化肉としての神の子キリストによる永遠の生命の信仰がある。いわば初代教会の神学を説いたものともいえる。
「使徒行伝」は、「ルカ伝福音書」の著者によって、イエスの使徒の伝道が記録されたものである。ルカはパウロと伝道旅行をともにした人で、この書の後半は、彼が目撃し、あるいは本人から直接に聞いたパウロの事績が生々しい筆で報告されている。前半は、ペテロ、ヨハネ、ヤコブを中心に初代パレスチナ教団の伝道が語られているが、間接の伝聞によるこの部分には、「霊の感化」というような信仰的色彩が強い。
[赤司道雄]
パウロは小アジアのタルソの生まれで、ローマの市民権をもち、ヘレニズム的教養を身につけていた。しかし彼はユダヤ教徒としてパリサイ派に属し、律法を冒涜(ぼうとく)すると考えられていたキリスト教徒迫害の先鋒(せんぽう)でもあった。彼はイエスの幻に触れて回心し、その後は小アジアからヨーロッパにかけての異邦人伝道に身を捧(ささ)げ、3次にわたる迫害下の伝道によりキリスト教を地中海世界の世界宗教に発展させた。彼が伝道先のキリスト者にあてた手紙として、13の書簡が彼の名のもとに『新約聖書』に収められている。このうち、四大書簡とよばれる「ロマ書」「コリント書(第一・第二の手紙)」「ガラテヤ書」のほか「テサロニケ書(第一の手紙)」「ピリピ書」「コロサイ書」「ピレモン書」が明らかに真正のパウロの作とされている。「エペソ書」と「テサロニケ書(第二の手紙)」には疑いの余地があり、「ヘブル書」は明らかにパウロとは思想を著しく異にする人物の手になる。これらのうち、「エペソ書」「ピリピ書」「コロサイ書」「ピレモン書」は「獄中書簡」とよばれる。パウロの手紙のうち最古のものは「テサロニケ人への第一の手紙」で、福音書より古く、パウロ伝道の初期、紀元50年ごろのものである。
[赤司道雄]
「テモテへの第一・第二の手紙」「テトスへの手紙」の三つは、18世紀以来「牧会書簡」Pastoral Epistlesとよばれるようになった。集会の秩序に関する訓戒を主題にしているからである。これらはテモテ、テトスというパウロと伝道をともにした個人あてになっている。これらがパウロの真正の手紙かどうかは多くの疑点が残る。しかしいずれにもせよ、ほかのパウロの書簡より後の作であることは確かである。
[赤司道雄]
「公同書簡」Catholic Epistlesと4世紀ごろからよばれ、個々の教会あてでなく、多くの教会あてになっているのは、「ヤコブの手紙」「ペテロの第一・第二の手紙」「ヨハネの第一・第二・第三の手紙」「ユダの手紙」の七つの書簡である。これらはイエスの直弟子とヤコブの兄弟ユダの名を冠しているが、その信憑(しんぴょう)性は疑わしい。しかし、これらによって、1世紀末から2世紀にかけての初代キリスト教団の展開、初期キリスト教の思想的発展が知られるため貴重な資料である。
「ヨハネの第一・第二・第三の手紙」は、「ヨハネによる福音書」の記者、長老のヨハネか、あるいは彼とともに使徒ヨハネの兄弟弟子であった者の手になるものと考えられる。ここには、キリストの贖罪(しょくざい)と、神の子キリストに表された父なる神の愛とが結び付けられ、以後のキリスト教の中心思想が、すでにこの時代にその萌芽(ほうが)を表していることをうかがわせる。
[赤司道雄]
黙示文学は、『旧約聖書』の「ダニエル書」以後、「旧約外典」「偽典」に多くみられる。異邦の圧迫下に、比喩(ひゆ)的、幻想的な表現で、ユダヤ教徒の救済の願いを込めて著されたものである。キリスト教が1世紀末からローマの迫害にあったとき、この形式を取り入れ、神よりの謎(なぞ)の啓示の形で「ヨハネ黙示録」が著された。終末の日のキリスト再臨のさまを描いたものである。後のキリスト教の再臨信仰の根拠となった。
[赤司道雄]
現在の形の『新約聖書』が正典として成立したのは、4世紀のアタナシウス(296ころ―373)によってである。しかし、すでに2世紀の終わりには、四つの福音書の権威が確立していたことが教父たちの著作で明らかである。また『ムラトリ断片』Muratorian Canonには、200年ごろローマ教会で用いられた聖書のリストがある。このなかには四福音書、「使徒行伝」「13のパウロの書簡」「ユダの手紙」「ヨハネの第一・第二の手紙」「ヨハネ黙示録」が収められている。
[赤司道雄]
『旧約聖書』は、一部アラム語の部分を除いてヘブライ語が原文である。原文は子音だけで書かれていたが、ヘブライ語が死語となったのちは、その本文を伝承により正確に伝えようとするマソラ(伝承の意)学者によって母音記号がつけられた。現存のマソラ写本の最古のものは紀元9世紀のものであるが、1947年から数次にわたり死海の西海岸で発見された「死海文書」には紀元前3世紀なかばから紀元1世紀のものが含まれる。
『旧約聖書』は、ローマ教会でギリシア語訳『セプトゥアギンタ』をもとにしてラテン訳されたが、紀元405年ヘブライ語写本に基づく改訂訳が完成した。
『新約聖書』各書の原文はギリシア語であるが、原本は残っていない。伝えられた多くの写本をもとに、古代訳、教父の引用などを参照しながら、原本の復原作業が長い教会の歴史のなかで続けられ、今日に至る。現在一般に普及しているのは、ネストレ‐アーラント版(25版・1963)、タスカー版(1964)などである。
ギリシア語写本は断片を含め5000以上あるが、パピルス写本、大文字写本、小文字写本に分けられる。パピルス写本の最古のものは紀元125年の「ライランズ・パピルス457」である。パピルス写本の多くは断片であるが、「チェスター・ビーティ・パピリ」「ボードマ・パピリ」など長文のものもある。大文字写本は4世紀から10世紀にわたり、このなかに主要な「シナイ写本」「バチカン写本」「エフライム写本」「ベザ写本」などがある。
『新約聖書』は4世紀末にギリシア語写本からラテン訳され、旧約とあわせ「ブルガータ」(ラテン語ウルグスは「日常の」の意)とよばれた。中世のカトリック教会は各国語訳を許さなかったが、ルターによる旧約・新約の原語からのドイツ語訳以来、プロテスタント各国では自国語訳で信徒は直接聖書を読むことができるようになった。
最初の日本語訳聖書は、キリシタン禁制時代のギュツラフによる『約翰福音(ヨハネふくいん)之伝』である。当時彼はマカオにいたが、漂流の3人の日本人の助けで聖書を和訳し、1837年シンガポールで出版した。その後も宣教師たちによる部分訳が続いたが、1872年(明治5)各派合同の宣教師会議で『新約聖書』共同訳を決議し、75年から分冊出版を行い、79年全冊が完成した。『旧約聖書』も82年から分冊出版が始まり、88年に完成した。和訳は、すでに中国で出版されていた漢訳を参照したため漢語的表現が多く、今日の口語訳にもなお「申命(しんめい)記」「燔祭(はんさい)」など多くの漢語が残っている。
1906年(明治39)に福音同盟会は改訳を決議し、改訳委員会の手で17年(大正6)、いわゆる「大正訳文語聖書」が完成出版された。これはのちに口語訳ができるまで諸教会、一般人に広く読まれ、口語訳出版後もその名文を好む人は後を断たず、今日も日本聖書協会で出版を続けている。
口語訳は第二次世界大戦後に、新仮名づかい、当用漢字中心による現代語聖書の要請により、1951年(昭和26)から日本聖書協会によって着手された。また戦時中に文語旧約聖書改訂の試みがなされていたが、これを口語訳に切り替え、新約とともに口語訳委員会の手で進められ、54年に新約が、翌55年に旧約が完成した。これらのプロテスタント・聖公会共同の口語訳とは別に、福音派による『改訂訳聖書』が70年に出版された。
カトリック教会では、1910年ラゲE. Raguetの手で新約の口語訳が、また戦後バルバロF. Barbaroによって1964年新約・旧約の口語訳が完成、出版されている。
この間、多くの聖書学者による個人訳が出版されている。キリスト教会のエキュメニズムの風潮は、カトリック、プロテスタントの共同訳聖書の事業を促し、1979年には『新約聖書』共同訳が完成、出版された。現在『旧約聖書』の共同訳も進められている。
[赤司道雄]
『斎藤勇著『文学としての聖書』(1944・研究社)』▽『関根正雄著『旧約聖書』(1949・東京創元新社)』▽『前田護郎著『新約聖書概説』(1956・岩波書店)』▽『馬場嘉市編『新聖書大辞典』改訂版(1979・キリスト新聞社)』▽『浜島敏著『聖書翻訳の歴史 英訳聖書を中心に』(2003・創言社)』▽『富岡幸一郎著『聖書をひらく』(2004・編書房)』▽『クリストフ・レヴィン著、山我哲雄訳『旧約聖書――歴史・文学・宗教』(2004・教文館)』▽『原口尚彰著『新約聖書概説』(2004・教文館)』▽『クリストファー・ド・ハメル著、朝倉文市監訳、川野美也子・馬場幸栄・横山竹巳訳『聖書の歴史図鑑 書物としての聖書の歴史』(2004・東洋書林)』▽『『聖書』『新約聖書 共同訳』(日本聖書協会)』▽『小塩力著『聖書入門』(岩波新書)』▽『赤司道雄著『聖書』(中公新書)』▽『山我哲雄著『聖書時代史――旧約篇』(岩波現代文庫)』▽『R. PfeifferIntroduction to the Old Testament, 2nd ed.(1948, New York)』▽『A. H. McNeileAn Introduction to the Study of the New Testament, 2nd ed.(1953, Oxford University Press)』
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…ローマ・カトリック教会の標準ラテン語訳聖書。vulgataとはeditio vulgata(共通訳)の略。…
…旧約聖書という名称は,ユダヤ教の正典を自己の正典の一部としたキリスト教における名称である。キリスト教会は,福音書や使徒の書簡などを,キリストによる新しい救いの契約の書,すなわち新約聖書としてまとめるようになると,2世紀末ころからユダヤ教の聖書を,イエス・キリストを預言した古い契約の書,すなわち旧約聖書と名づけて,両者の区別をはかった。…
…しかし,われわれが現在何の抵抗も感じないで使っている言葉のなかには〈世俗化〉されたキリスト教の用語が多くふくまれている。代表的なものとして〈十字架〉〈復活〉〈福音〉〈バイブル(聖書)〉〈三位一体〉〈洗礼〉〈終末〉〈天国〉などを挙げることができよう。これらの言葉がしばしばキリスト教的起源をはっきり意識しないで用いられている事実(たとえば苦痛や犠牲を〈十字架〉,必読書を〈バイブル〉などと比喩的に呼ぶ場合)は,ある意味でキリスト教の土着化のしるしとみなされよう。…
※「聖書」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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