カルボキシ基(カルボキシル基)-COOH1個をもつ鎖式のカルボン酸をいう。脂肪を加水分解すると得られるのでこの名がある。天然には、グリセリンや高級一価アルコールのエステルとして広く動植物体内に分布しているが、脂肪酸そのものが遊離して存在する例はきわめて少ない。脂肪酸のグリセリンエステルが脂肪であり、高級一価アルコールエステルが蝋(ろう)である。生物体中に存在する脂肪酸の大部分は、偶数個の炭素が直鎖状に結合した構造をもつ。脂肪酸は、すべての炭素原子が飽和していてCnH2n+1COOHの一般式で示される飽和脂肪酸と、鎖に二重結合や三重結合をもつ不飽和脂肪酸に分類される。合成法は「カルボン酸」の項を参照のこと。
[廣田 穰]
飽和脂肪酸では、炭素数が少ない低級のものは無色の液体であるが、炭素数が10以上の高級飽和脂肪酸は無色の固体である。不飽和脂肪酸は、炭素鎖の長さや多重結合(不飽和結合)の位置により融点が異なるが、多くは無色の液体ないしは低融点の固体として存在する。ギ酸、酢酸などの炭素数が少ないカルボン酸は刺激臭をもち、水によく溶けるが、炭素数6前後のカルボン酸は不快な腐敗臭をもっていて、水にはわずかに溶けるだけである。炭素鎖が10以上の高級脂肪酸はほとんど無臭で水に溶けない。エタノール(エチルアルコール)、クロロホルム、エーテルなどの溶媒にはいずれもよく溶ける。カルボキシ基の水素は水に溶かすとヒドロキソニウムイオン(水素イオン)として解離するので酸性を示す。しかし、解離は部分的にしかおこらないので弱い酸である。
[廣田 穰]
油脂の成分となっているパルミチン酸、ステアリン酸などの飽和高級脂肪酸のナトリウム塩はせっけんとして使われている。このほかに、酢酸は食酢、合成原料、溶剤などに広く使われている。
脂肪酸を遊離の形で食品とすることは酢酸を除いてほとんどないが、動物体内におけるエネルギー源として重要である。脂肪が腸管から脂肪酸として吸収されると、ふたたび脂肪の形に戻って皮下に貯蔵され、必要に応じて脂肪酸となり肝臓で分解される。栄養素として高いカロリー値をもっている。動物の多くはリノール酸、リノレン酸の合成を体内で行えないので、これらの脂肪酸はビタミンFとよばれたことがある。ヒトの摂取量については諸説があるが、リノール酸を1日15~25グラム摂取すれば十分である。過剰の摂取は避けるべきとの意見もある。
[廣田 穰]
脂肪酸とグリセリンのエステルであるグリセリドは油脂として広く動植物界に分布している。飽和脂肪酸のグリセリドは白色の固体で牛脂などの動物脂肪の主成分であるが、不飽和脂肪酸であるオレイン酸、リノール酸などのグリセリドは液体で植物油、魚油などに多く含まれている。低級脂肪酸と低級一価のアルコールのエステルは一般に芳香を有し、果実の芳香成分として知られているものが多い。高級脂肪酸の金属塩を一般にせっけんという。化粧せっけんとよばれて浴用などに用いられているのは脂肪酸ナトリウム塩である。
[廣田 穰]
生体内で脂肪酸は、脂肪酸回路によって分解されたり、合成されたりする。この回路は、炭素数二つずつの単位で脂肪酸の合成や分解を行うので、天然に存在するほとんどの脂肪酸の炭素数が偶数となるのである。不飽和脂肪酸は、不飽和二重結合をつくる酵素の働きで合成されると思われる。
動物には、リノール酸やリノレン酸を合成する酵素がないため、これらの脂肪酸は、植物を食べて補給されなければならない必須脂肪酸(ひっすしぼうさん)である。リノール酸やリノレン酸が欠乏すれば、成長阻害、皮膚や腎臓(じんぞう)の障害、受精能力の減退を招く。これは、リノール酸、リノレン酸、アラキドン酸を経て合成される重要な生理活性物質プロスタグランジンの減少による。
脂肪酸は栄養素として重要であり、脂肪として体内に蓄えられ、必要に応じて肝臓で酸化的に分解される。このとき発生するエネルギーや水の量は、炭水化物やタンパク質などの栄養素と比較して約2倍なので、動物の栄養貯蔵は主として脂肪ないし脂肪酸の形をとる。
脂肪酸は、生体膜の基本的な構成成分の一つで、主としてリン脂質の70%以上を占めているグリセロリン脂質の形態をとっている。これを構成する脂肪酸の種類によって、膜の透過性、流動性、外界への適応などが左右されると考えられる。
[若木高善]
食品中の脂質に含まれる脂肪酸のほとんどすべては炭素数偶数個で直鎖の飽和および不飽和脂肪酸である。炭素数はきわめて広範囲に及ぶが、量的には炭素数16のパルミチン酸、炭素数18のオレイン酸およびリノール酸が主要なものである。牛乳脂肪(炭素数4、6の短鎖脂肪酸)、やし油、パーム核油(炭素数8~12の中鎖脂肪酸)や魚鯨油(炭素数20、22の多価不飽和脂肪酸)のように独特な組成の油脂もある。菜種油はエルシン酸(エルカ酸)を含むことで特徴づけられるが、品種改良によりほとんど含まれなくなっている。一般に食用植物油脂はリノール酸に富み、陸産動物油脂は飽和脂肪酸が多い。
脂肪酸組成の違いを反映して、油脂は常温において固体状(脂)あるいは液体状(油)を呈する。脂肪酸は食品の食味とも関係し、不飽和度が高くなると濃厚な味を与えるようである(たとえばウナギ)。短鎖脂肪酸、とくに酪酸が油脂の加水分解によって遊離すると悪臭の原因となる。
脂肪酸は動物体内のエネルギー源としてもっとも効率的な成分であり、トリグリセリドとして貯蔵される。飽和脂肪酸は安定であるが、不飽和脂肪酸は酸化されやすい。脂質過酸化物は老化、癌(がん)、動脈硬化などの原因となる。天然の不飽和脂肪酸の二重結合はシス型であり、必須脂肪酸はすべての二重結合がシス型のときのみその機能を発現する。油脂の水素添加過程で、天然には稀(まれ)であるトランス型(シス型の幾何異性体)不飽和脂肪酸が生成する。トランス酸は主としてモノ不飽和酸(たとえばエライジン酸)としてマーガリン、ショートニング中に含まれる。トランス酸は飽和脂肪酸とほぼ同程度吸収されエネルギー源として利用されるが、多量摂取すると必須脂肪酸要求量の増加、シス酸代謝の妨害やプロスタグランジン合成の抑制、血清コレステロール濃度の上昇などを引き起こす。しかし、日常摂取量(2グラム以下)の範囲ではこのような影響は無視できる。
[菅野道廣]
『野副鐵男著『有機化学』上下(1970、1972・廣川書店)』▽『鹿山光編『総合脂質化学』(1989・恒星社厚生閣)』▽『中村治雄編『脂質の科学』(1990・朝倉書店)』▽『日本化学会編『実験化学講座 有機合成4 酸・アミノ酸・ペプチド』(1992・丸善)』▽『日本生化学会編『新 生化学実験講座4 脂質1 中性脂質とリポタンパク質』(1993・東京化学同人)』▽『小川和朗他編『脂質とステロイド――組織細胞化学の技術』(1993・朝倉書店)』▽『ロバート・ソーントン・モリソン、ロバート・ニールソン・ボイド著、中西香爾他訳『モリソン・ボイド有機化学(上中下)』第6版(1994・東京化学同人)』▽『伏谷伸宏・広田洋他著『天然有機化合物の構造解析――機器分析による構造決定法』(1994・シュプリンガー・フェアラーク東京)』▽『鹿山光編『AA、EPA、DHA――高度不飽和脂肪酸』(1995・恒星社厚生閣)』▽『黒崎富裕・八木和久著『油脂化学入門――基礎から応用まで』(1995・産業図書)』▽『有坂文雄著『スタンダード 生化学』(1996・裳華房)』▽『田中武彦他責任編集『分子栄養学概論』(1996・建帛社)』▽『日本脂質栄養学会監修、奥山治美・安藤進編『脳の働きと脂質』(1997・学会センター関西)』▽『彼谷邦光著『脂肪酸と健康・生活・環境――DHAからローヤルゼリーまで』(1997・裳華房)』▽『中西一弘他著『生物分離工学』(1997・講談社)』▽『山口迪夫監修、科学技術庁資源調査会編『日本食品成分表――四訂・フォローアップ・五訂(新規食品)成分完全収載』(1997・医歯薬出版)』▽『日本脂質栄養学会監修、奥山治美・菊川清見編『脂質栄養と脂質過酸化――生体内脂質過酸化は傷害か防御か』(1998・学会センター関西)』▽『日本栄養・食糧学会監修、五十嵐脩・菅野道廣編『脂肪酸栄養の現代的視点』(1998・光生館)』▽『永井彰・上野信平著『セメスター対応 生物学入門』(1998・東海大学出版会)』▽『佐藤清隆他監修『機能性脂質の開発』(1999・シーエムシー)』▽『日本薬学会編、菊川清見著『からだが錆びる――酵素ストレスによる生活習慣病』(1999・丸善)』▽『日本栄養・食糧学会監修、菅野道廣・尚弘子責任編集『大豆タンパク質の加工特性と生理機能』(1999・建帛社)』▽『菅野道廣他著『脂質研究の最新情報――適正摂取を考える』(2000・第一出版)』▽『原健次著『生理活性脂質――短鎖脂肪酸の生化学と応用』(2000・幸書房)』▽『ジョン・マクマリー著、伊東椒他訳『マクマリー有機化学(上中下)』第5版(2001・東京化学同人)』▽『日本油化学会編『油化学便覧――脂質・界面活性剤』(2001・丸善)』▽『田中治他編『天然物化学』(2002・南江堂)』
カルボキシル基を一つもつ脂肪族カルボン酸の総称。一般式R-COOH(Rは炭化水素基)。天然の動植物油脂はグリセリンと脂肪酸のエステル,蠟は高級アルコールと脂肪酸のエステルであり,これらの中に結合した形で広く存在する。動植物油脂に由来する脂肪酸は多種の単体脂肪酸の混合物で,ほとんどが直鎖構造をもち,二重結合をもたない飽和脂肪酸と,二重結合,三重結合を一つ以上もつ不飽和脂肪酸とに分類される。分子中の炭素数は30くらいまであるが,天然に存在するもののほとんどは炭素数が偶数である。炭素数が奇数の脂肪酸も合成は可能である。天然油脂から脂肪酸を製造するには,高温高圧水蒸気による方法,酵素による方法,苛性アルカリによる方法などがある。セッケン,金属セッケン,潤滑剤,グリース,洗剤,界面活性剤,ろうそく,クレヨン,化粧品,合成樹脂,ゴムなどの原料に用いられる。
→カルボン酸 →高級脂肪酸
執筆者:内田 安三
生体内ではアセチルコエンザイムA(アセチルCoAと略記)を出発材料として,さまざまの長鎖脂肪酸が合成される。このときアセチルCoAは,ビオチン酵素であるアセチルCoAカルボキシラーゼの作用で,炭酸を固定しマロニルCoAとなり,これが還元・縮合を繰り返すことによって脂肪酸がつくられる。このとき還元剤としてNADPH(還元型ニコチン酸アミドアデニンジヌクレオチドリン酸)が利用される。全過程は
CH3CO-CoA+(n-1)COOH・CH2CO - CoA+2(n-1)NADPH+2(n-1)H⁺-→CH3(CH2CH2)n-1COOH+(n-1)CO2+nCoA+2(n-1)NADP⁺
で表される。脂肪酸合成に関与する酵素群は動物および酵母では複合体を形成し,FMN(フラボンモノヌクレオチド)を含み,2個のSH基をもつ。最初外部のSHにアセチル基が結合し,次に中心SHにマロニル基が結合する。マロニル基の脱炭酸とともにその上にアセチル基が転移しアセトアセチル基になる。以下,還元→脱水→還元→アシル転移……のサイクルを7回繰り返し,最後にパルミトイルCoAとなって離れる。長鎖脂肪酸の延長反応はミトコンドリアやミクロソームで行われる。前者ではアセチルCoAが基質として用いられ,β酸化の逆行に似た機構と考えられる。不飽和脂肪酸は肝臓のミクロソームの酵素系によってNADH(還元型ニコチン酸アミドアデニンジヌクレオチド)の存在下,酸素添加とそれに次ぐ脱水反応で二重結合1個の不飽和脂肪酸となる。二重結合が2個以上の不飽和脂肪酸の合成は動物体内では不可能であり,必須脂肪酸である(図)。
生体中で脂肪酸は中性で不溶性のトリグリセリド,つまり脂肪として大量に蓄えられている。細胞がエネルギーを必要とするときには,ただちに分解されてエネルギーを供給する。脂肪酸は還元度の高いアルキル基をもつため,完全燃焼すると1g当り9.4kcalの熱を発生する。動物細胞では余分のエネルギーは必ず脂肪として蓄えられる。1904年にクノープF.Knoop(1875-1946)は,動物体中で変化しないフェニル基を末端に導入する方法で,脂肪酸の分解物を確認する実験を行った。彼はその実験から,脂肪酸は順次C2単位で取り除かれるという仮説(β酸化説)をたてた。この仮説は脂質代謝に重要な貢献をした。その後50年にレーニンジャーA.L.Lehningerらは,脂肪酸酸化はミトコンドリアで行われることを示し,リップマンF.A.LipmanによるコエンザイムA(CoAと略記),リネンF.LynenによるアセチルCoAの発見により,脂肪酸分解過程の全容が明らかとなった(脂肪酸酸化回路)。なお肝臓のミクロソームでは,ωオキシ酸を生じるω酸化と呼ばれる別の脂肪酸分解経路が存在する。
執筆者:大隅 良典
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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(的場輝佳 関西福祉科学大学教授 / 2007年)
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
飽和あるいは不飽和の鎖状モノカルボン酸の総称.高級脂肪酸はグリセリンエステルとして脂肪を構成しており,一般には,油脂に含まれる脂肪酸のほとんどは直鎖状で,炭素数が偶数である.低級脂肪酸は水に可溶で,刺激臭と酸味があるが,高級脂肪酸は水に不溶である.また,どちらもエーテルやエタノールなどの有機溶媒に易溶.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
…また,炭化水素基Rの種類によって,脂肪族カルボン酸,芳香族カルボン酸とか飽和カルボン酸,不飽和カルボン酸などという。分子内に環式構造をもたない鎖式のモノカルボン酸を脂肪酸という。カルボキシル基以外に水酸基-OH,アミノ基-NH2,カルボニル基C=O等をもつものをそれぞれヒドロキシ酸(オキシカルボン酸,オキシ酸ともいう),アミノ酸,ケト酸などと呼ぶ。…
…後3者は定義しやすいのに対し,脂質は必ずしも特定の化学構造に基づいて命名されたわけではないので簡単に定義づけることが難しい。1925年,ブルーアW.R.Bloorは,(1)水に不溶で,エーテル,アルコール,クロロホルム,ベンゼンのような有機溶媒に易溶な物質で,(2)高級脂肪酸などを含み,それとなんらかの化学結合をしたもの,または結合を作りうる物質で,(3)生物体により利用されうるものと定義づけた。しかし,この定義には当てはまらないが脂質に含められている化合物も多い。…
※「脂肪酸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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