興意法親王(読み)こういほっしんのう

朝日日本歴史人物事典 「興意法親王」の解説

興意法親王

没年:元和6.10.7(1620.11.1)
生年天正4.10.12(1576.11.2)
安土桃山・江戸前期の皇族。誠仁親王の第5王子,母は新上東門院晴子(勧修寺晴右の娘)。初め円満院へ入るが,天正19(1591)年1月聖護院へ入り,道勝と名乗る。慶長13(1608)年12月興意と改名する。同15年3月三井寺長吏となり,同18年11月二品に叙せられる。同19年8月豊臣氏が建立した方広寺大仏殿の棟札銘文に,書くべき大工頭の名を入れなかったという江戸幕府嫌疑を受け蟄居した。元和2(1616)年聖護院寺務および三井寺長吏を退いた。嫌疑が晴れたのち白川に照高院を移し,ここへ入った。同6年9月江戸へ下向,滞在中急死した。

(藤田恒春)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「興意法親王」の解説

興意法親王 こういほうしんのう

1576-1620 織豊-江戸時代前期,誠仁(さねひと)親王の第5王子。
天正(てんしょう)4年10月12日生まれ。慶長15年近江(おうみ)(滋賀県)園城寺(おんじょうじ)長吏となる。19年豊臣氏がたてた方広寺大仏殿の棟札に前例にない銘文をかき,また徳川氏調伏の嫌疑で蟄居(ちっきょ)する。のち疑いがとけ,幕府の寄進で照高院を白川に再建した。元和(げんな)6年10月7日死去。45歳。名は邦慶。

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367日誕生日大事典 「興意法親王」の解説

興意法親王 (こういほっしんのう)

生年月日:1576年10月12日
安土桃山時代;江戸時代前期の誠仁親王の第5王子
1620年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報