興福寺村(読み)こうふくじむら

日本歴史地名大系 「興福寺村」の解説

興福寺村
こうふくじむら

[現在地名]大垣市興福地町こうふくじちよう

大垣輪中の北部、菅野すがの川左岸に位置し、西は池尻いけじり村。当地の菅野神社は奈良春日社の遷社で、興福寺をこの地に移建したのが村名の由来とされる(美濃明細記)。村の北端を中山道が通る。光福寺・幸福寺とも記すが、延宝五年(一六七七)興福寺を興福地と改称(座右秘鑑)中世には伊勢神宮領中河なかがわ御厨のうちともいわれる。江戸時代を通じて大垣藩領。慶長郷帳に光福寺村とみえ、村高四三六石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳には幸福寺村とみえる。正保郷帳には興福寺村と記され、田高四六二石余・畑高二一石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

五節舞

日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...

五節舞の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android