日本歴史地名大系 「興福院」の解説
興福院
こんぶいん
法蓮山と号する尼寺で、浄土宗。本尊阿弥陀如来。興福尼院といい、もとは
当寺には興福寺大乗院主尋尊の姉の八幡菩提院が招請されて入寺したこともあったらしい(大乗院寺社雑事記)。
興福院
こうふくいん
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
法蓮山と号する尼寺で、浄土宗。本尊阿弥陀如来。興福尼院といい、もとは
当寺には興福寺大乗院主尋尊の姉の八幡菩提院が招請されて入寺したこともあったらしい(大乗院寺社雑事記)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
奈良市法蓮(ほうれん)町にある浄土宗の尼寺。山号は法蓮山。弘福(こうふく)院、弘文(こうぶん)院、興福尼(こんぶに)院ともいう。770年(宝亀1)藤原百川(ももかわ)、あるいは藤原良継(よしつぐ)の創建という。『諸寺縁起集』は興福(こうふく)寺、福田(ふくでん)院、済恩(さいおん)寺とともに藤原氏の氏寺としている。その前身は和気(わけ)氏が聖武(しょうむ)天皇の学問所を移して開いた弘文院で、中興開山は羽柴(はしば)秀長の後室光秀尼である。豊臣(とよとみ)秀吉は寺領200石を寄せ、ついで徳川家光(いえみつ)が天下の幸福を祈願し、同時に東福門院(後水尾(ごみずのお)天皇の中宮)の願いにより興福院としたという。別格尼寺として由緒寺の一つに数えられる。小堀遠州(こぼりえんしゅう)作の庭園、茶人長闇堂(ちょうあんどう)(久保権太夫(ごんだゆう))の茶室と墓がある。寺宝に絹本着色阿弥陀来迎図(あみだらいごうず)(国指定重要文化財)などがある。
[清水 乞]
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