船谷村(読み)ふねだにむら

日本歴史地名大系 「船谷村」の解説

船谷村
ふねだにむら

[現在地名]養父町船谷

大坪おおつぼ村の南、建屋たきのや川の流域に位置し、東ははた村。江戸時代は幕府領(寛永一六年知高帳、「但馬国高附郡訳手控」岡田家文書など)。寛永一六年(一六三九)の知高帳では高一五四石余。天保郷帳では高一八二石余。宝暦二年(一七五二)には家数六〇・人数二九八(「覚」建屋区有文書)庄屋は享保五年(一七二〇)から文化五年(一八〇八)まで太兵衛家(守本家)が独占している。同家の抱高は宝暦三年には一七〇石余にのぼり、村高の大半を占めていた。ただし太兵衛持高のうち七〇石余は悪田、一五石余は惣作地で、享保一七年の凶作飢饉の際、村内に潰百姓が多く出て都合六五石余が村方に差出され、これを太兵衛が引取ったことによるものであった。

船谷村
ふなだにむら

[現在地名]豊岡市船谷

つじ村に北・東・西を囲まれ、南は気多けた河江かわえ(現日高町)。舟谷とも記した。江戸時代の領主変遷栃江とちえ村に同じ。正保(一六四四―四八)頃成立の国絵図に「舟谷」とみえ、高一二五石余。宝暦七年(一七五七)の但馬国高一紙でも同高。明和九年(一七七二)の村明細帳(大石家文書)でも同高、小物成は山役米三斗・楮役米二斗五升余・刈畑役米三升四合・桑役銀五七匁、家数一四・人数六一、鎮守三宝さんぼう荒神(現八幡神社)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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