良成親王(よしなりしんのう)(読み)よしなりしんのう

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

良成親王(よしなりしんのう)
よしなりしんのう

生没年不詳。後村上(ごむらかみ)天皇の皇子。「ながなり」とも読む。懐良(かねよし)親王の後を継ぎ、九州南朝方の中心を担う。良成親王の九州入りは、懐良親王大宰府(だざいふ)掌握(1361)から1369年の間で、1372~75年(文中1~天授1)ごろに懐良親王から征西将軍職(せいせいしょうぐんしき)を受け継いだとされている。菊池(きくち)、五条(ごじょう)、阿蘇(あそ)氏などの軍事力を背景に、南朝勢力の挽回(ばんかい)を試みたが、九州探題今川了俊(いまがわりょうしゅん)の前に振るわず、1391年(元中8)、八代(やつしろ)(熊本県八代市)を追われ、矢部(やべ)(福岡県八女(やめ)市)へと退いた。南北朝合一後も1393年(明徳4)には、南朝年号「元中(げんちゅう)」を用い九州南朝方再興を阿蘇惟政(これまさ)に命ずるなど最後まで抵抗した。

[下東由美]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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