芝口一丁目東側(読み)しばぐちいつちようめひがしがわ

日本歴史地名大系 「芝口一丁目東側」の解説

芝口一丁目東側
しばぐちいつちようめひがしがわ

[現在地名]港区新橋しんばし一丁目

芝口橋の南、東海道の東に沿う片側町の町屋。北は堀(汐留川)が巡り岸は蔵地、堀を隔てて芝口金六しばぐちきんろく(現中央区)、東は同新町と播磨龍野藩脇坂家上屋敷、西は往還を隔てて芝口一丁目西側、南は芝口二丁目。古くは日比谷ひびや御門辺りにあったが、慶長年中(一五九六―一六一五)に当地へ移転となり日比谷町一丁目と唱えていた。なお寛永江戸図には「ひひや丁」とみえる。元禄(一六八八―一七〇四)の頃までは請負(古町)であったが、その後召上げられ明地になったという。宝永七年(一七一〇)三月御医師岡甫庵・同松本善甫・同馬場祐甫・浪人原田半三郎の拝領町屋となり、もとのように日比谷町一丁目と唱えたが、同年九月芝口御門建設に伴い芝口一丁目と町名を改めるよう触が出され、また往還を挟んで西向いの火消役屋敷跡の明地が出雲いずも(現中央区)の代地となり、芝口一丁目西側と唱えたため芝口一丁目東側とした(「徳川実紀」・文政町方書上)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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