芝浜崎町(読み)しばはまざきちよう

日本歴史地名大系 「芝浜崎町」の解説

芝浜崎町
しばはまざきちよう

[現在地名]港区海岸かいがん一丁目

明治五年(一八七二)成立した町で、汐留しおどめ町二丁目の南に位置する。幕末にはいわゆる韮山代官の江川太郎左衛門組与力同心大小砲習練場、出羽鶴岡藩台場付陣屋地、紀州徳川家下屋敷、陸奥二本松藩丹羽家蔵屋敷が置かれていた。新銭座しんせんざ町からみなと町にかけての海浜部を占め、東と南は海。古くは芝浦の海浜で、寛永江戸図には葦と鶴の絵とともに「御鷹場」と記される。以後埋立が進められ、寛文元年(一六六一)に関但馬守が新銭座町の南に屋敷(備中新見藩上屋敷)拝領し、延宝五年(一六七七)芝新網しばしんあみ町海手に永井佐渡守と山崎勘解由、同六年に大久保加賀守が屋敷(小田原藩下屋敷、後に上屋敷)を拝領している(年録・沿革図書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android