芹川庄(読み)せりかわのしよう

日本歴史地名大系 「芹川庄」の解説

芹川庄
せりかわのしよう

近世の芹川村域一帯に比定される荘園。康治二年(一一四三)八月一九日付の安楽寿院宛太政官牒(安楽寿院古文書)に、

<資料は省略されています>

とあり、芹川庄はもと平等びようどう(現宇治市)領であり、白河院政期の応徳年中(一〇八四―八七)、備中国橋本はしもと庄と相博され、白河院領となったことが知られる。

芹川が荘号をもって史料上にみえる早い例は、右に先立つ保延五年(一一三九)七月二八日付の鳥羽御領預所宛鳥羽上皇院庁下文案(安楽寿院古文書)である。これによれば、芹川庄は白河院から鳥羽院へ継承されていた。そして鳥羽離宮内に安楽寿あんらくじゆ院が創設されると、安楽寿院領中核を占めるようになる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語をあわせて調べる

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android