若宮祭(読み)わかみやまつり

世界大百科事典(旧版)内の若宮祭の言及

【春日大社】より

…この春日社の繁栄を見た興福寺は,神仏習合思想を利用して,春日社の同寺鎮守化や社頭読経法会の執行を念願,とくに春日四所大明神の本地を釈迦・薬師・地蔵・観音と説いて興福寺の春日社祭祀の道理を主張,さらに春日社武力の春日神人(じにん)を手なずけて無理を強行するに至った。同寺衆徒は1135年(保延1)に春日若宮神社を創建,氏長者に強請して翌年9月から御旅所を春日野の興福寺境内に仮設して若宮祭(若宮御祭(おんまつり))を一国の祭りとして執行した。この若宮祭の創始によって興福寺は春日社との一体化を完成,春日社興福寺の大組織を現出し,神仏をともにおがむ春日信仰を興隆させた。…

【暗闇祭】より

…このほか,暗闇祭の名称はつかないものの深夜に祭祀を行う神社は数限りない。奈良の春日若宮神社で12月に行われる若宮祭(御祭)などはその典型で,人目に触れない真夜中に松明の灯だけでお旅所まで渡御し,翌日の祭典を行い,またその晩おそくに還御する。これらの事実は,神を迎えるときが本来夕方から夜にあったことを示すもので,全国各地で祭りの前晩を宵宮(よいみや)といってたいせつにする風にもうかがうことができる。…

【興福寺】より

…また衆徒らは春日神人を手なずけて春日神木をふりかざす嗷訴(ごうそ)をはじめた。1135年(保延1)に春日若宮社を創建,翌年9月には寺領の春日野に御旅所を設け,若宮祭を大和一国の大祭として催行した。これに興福寺の春日社祭祀や春日社との一体化が示され,その春日社支配を達成した。…

※「若宮祭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」