茂森町(読み)しげもりまち

日本歴史地名大系 「茂森町」の解説

茂森町
しげもりまち

[現在地名]弘前市茂森町

城の南側に位置し、上白銀かみしろがね町と新寺しんてら町とを南北に結ぶ道筋町並。東は塩分しわく町・もり町・覚仙かくせん町・在府ざいふ町、西は西茂森にししげもり町の寺院街に接する。

津軽一統志」に慶長一五年(一六一〇)の記事として「茂森町長勝寺の中間の堀は、乳井大隅守為過料堀之築土居」とあり、町の西側の堀はこの時期にできた。元和元年(一六一五)町内東側の観音堂のある茂森山(現森町付近)は、弘前城内を見下ろすため整地したといわれる(永禄日記)。しかし正保三年(一六四六)津軽弘前城之絵図(内閣文庫蔵)には、町内は町屋として町割され、重森とある森は「城之地形より此森五間高し、廻り七拾八間四方」とあり、完全には掘崩されていなかったと思われる。


茂森町
しげもりちよう

[現在地名]江東区木場きば四丁目

仙台せんだい堀の南岸に位置する町屋。深川築地二四ヵ町の一。深川茂森ふかがわしげもり町とも称した。町の周囲は木場掘割に囲まれ、北は久永ひさなが町一―二丁目、西はおうぎ町、南は木場町、東は六万坪ろくまんつぼ町。文政町方書上によれば、幕府によって開拓された当地を元禄一四年(一七〇一)一一月・正徳元年(一七一一)の二度にわたって奈良屋兵助が買請けて町屋となった。この間の元禄一六年茂森町となり、正徳三年町奉行支配となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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