草壁皇子(くさかべのおうじ)(読み)くさかべのおうじ

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

草壁皇子(くさかべのおうじ)
くさかべのおうじ
(662―689)

天武(てんむ)・持統(じとう)朝の皇太子。日並知皇子尊(ひなみしのみこのみこと)。死後に岡宮御宇天皇(おかのみやにあめのしたしらししすめらみこと)と追尊。天武天皇の皇子。母は持統天皇。壬申(じんしん)の乱(672)では初めから父母に従い吉野から東国に赴いた。681年(天武天皇10)皇太子となって万機(よろずのまつりごと)を摂(と)ったが、同日に皇子主催のもとに律令編纂(りつりょうへんさん)事業が開始された。これがいわゆる浄御原(きよみはら)(律)令(りょう)で、689年(持統天皇3)皇子が皇太子のまま死去した直後に、このうちの令22巻が施行された。『万葉集』(巻2)には柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)および皇子の舎人(とねり)らがその死を悲しみつくった歌27首を収めている。文武(もんむ)天皇、元正(げんしょう)天皇、吉備(きび)内親王(長屋王妃)の父であり、元明(げんめい)天皇は妃。陵は奈良県高市(たかいち)郡高取(たかとり)町佐田にある。

[押部佳周]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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