草山村(読み)くさやまむら

日本歴史地名大系 「草山村」の解説

草山村
くさやまむら

[現在地名]三和町字草山

土師はぜ川の支流草山川に沿い、ほぼ南西に延びる谷の口辺りから、寺尾てらお村・草山村と集落が散在する。

草山村は元禄一三年(一七〇〇)丹波国郷帳、天保郷帳には、寺尾村をも含む一村として高付されているが、「丹波志」には

<資料は省略されています>

と記され、また佐藤信淵の「巡察記」も「山裏ノ郷十四村」の内として「草山村」「寺尾村」をあげる。草山の谷奥は氷上ひかみ戸平とべら(現兵庫県氷上郡市島町)で、「丹波志」には「戸平村上古ヨリ天田郡中ナリ、氷上郡ヨリ地ヲ披出戸セシ所ナリ、中古山公事アリテ氷上郡ニ付ト云リ、其地天田ニテ氷上郡加茂郷トハ山ヲ隔、千束ヨリ戸平村マテ壱里余ノ谷ナリ」とあってかつて戸平村が天田郡であったと記す。


草山村
くさやまむら

旧西紀町域の北東部に位置する。中世草山庄の庄名を継承する近世の村で、篠山藩領内では諸村の総称として用いられた。慶長一三年(一六〇八)の多紀郡桑田津之国帳に「草山村」とみえ、高五三七石余。正保郷帳では田高一六六石余・畠高四七石。寛文四年(一六六四)の松平康信領知目録(寛文朱印留)でも草山村と記される。元禄郷帳では高五四六石余。明和八年(一七七一)の篠山全藩一揆では百姓の参加が一人もなかったとして草山組草山村の大庄屋六蔵が苗字帯刀を許され、草山組の草山村・栗柄くりから村・本郷ほんごう村・遠方おちかた村・川坂かわさか村の各村役人とともに褒美銀が与えられている(安永三年「多紀郡中強訴一件仕置相伺候書付案」小林家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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