語源的には草むら,やぶの意から,仕官しないで民間にある者をもさすが,日本では政治的意味あいをつよく帯びて使われた。もともと草莽は,諸侯やその体制に〈臣〉として忠誠を誓う在野の協力者であり,体制の危機に際しては何よりも忠誠に出た行動を期待されていた。けっして権力を志向してはならず,政治的活動の後には再び野に戻るべき人とされた。日本において草莽と自己規定した政治的発言者が登場するのは,幕藩体制が構造的危機の段階に入った18世紀後半からで,幕府政治に発言のルートのない者が自分を草莽に仮託して建言を始め,それはしだいに尊王論と結びついた内容となる。19世紀になると危機意識の一般化に対応して地方の農村に住む豪農層にも草莽の意識が広まり,幕末の安政期(1854-60)には政治的決起論としての〈草莽崛起(くつき)〉論が生み出された。これは吉田松陰を典型として唱えられ,1860年代の志士輩出の要因となる。〈草莽崛起〉論による運動は,脱藩浪士と豪農商出身の志士を中心的担い手とし,まず身分的制約をこえて国事を談じ政局に関与しようとした〈処士横議〉から,天誅さらに集団的蜂起へと展開をみせた。蜂起には一般農民層を動員したが,しばしば彼らの離反にあい,中央政局でも尊王攘夷運動の敗退とともに力を失い,明治初年には敗者の姿で立ち現れる。一方,1890年代からは天皇制への忠誠の手本として国家の側から草莽の賛美が行われた。
執筆者:高木 俊輔
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
草むら、やぶの意味から転じて仕官しないで民間にいる在野の人をさす。官僚支配体制からはみでた人が意図的に草莽を意識するようになるのは18世紀後半からで、体制の危機に際してそのたて直しに励むという忠誠に出る行動が期待された。19世紀になると、草莽の意識は地方に住む豪農層に広まり、幕末の安政期には吉田松陰らが政治的決起論としての草莽崛起論(くっきろん)を唱え、各地に志士が輩出するようになった。草莽の志士は、脱藩浪士と豪農層出身者を中心とし、多くは尊王攘夷派に属した。1860年代(万延~慶応)には、天誅に莽走する段階から集団化して隊を結成し(草莽諸隊)、天誅組の変(大和五条の変)や生野の変をはじめとする蜂起事件を起こすが、明治維新に際して政治的には敗北した。
[高木俊輔]
『高木俊輔著『明治維新草莽運動史』(1974・勁草書房)』
本義である草むら・藪の意から,仕官せず民間にある者をさすが,体制の危機に際して在野から出て危機打開の活動をすることが期待された。18世紀末から草莽に仮託した政治的建言がされるようになり,幕末期には尊王論と結びつき政治論としての草莽崛起(くっき)論を生み,志士の輩出につながった。政治的には処士横議(しょしおうぎ)や天誅(てんちゅう)に奔走し尊王攘夷運動を高揚させたが,明治維新の政争に敗れた。のち天皇制への忠誠心の手本として国家から称揚された。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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