荒木元融(読み)あらきげんゆう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「荒木元融」の意味・わかりやすい解説

荒木元融
あらきげんゆう

[生]享保18(1733).長崎
[没]寛政11(1799).長崎
江戸時代中・後期長崎派画家。字は子長,通称為之進。号は円山。荒木元慶の養子となり,明和3 (1766) 年唐絵目利 (からえめきき) 職を継ぐ。幼少より経学,詩文を学び,石崎元徳について絵を描く。出島在留のオランダ人について西洋画法を学んだ記録があるが,洋風画遺品はない。主要作品『水亭囲棋図』『双鯉図』。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「荒木元融」の解説

荒木元融 あらき-げんゆう

1728-1794 江戸時代中期の画家。
享保(きょうほう)13年生まれ。石崎元徳(げんとく)に師事し,洋風画をオランダ人にまなぶ。長崎の荒木元慶(げんけい)の養子となり,明和3年唐絵目利(からえめきき)兼御用絵師をつぐ。門下に実子石崎融思,養子荒木如元(じょげん)がいる。寛政6年4月18日死去。67歳。字(あざな)は士長。通称は為之進。号は円山。作品に「水亭囲碁図」など。

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世界大百科事典(旧版)内の荒木元融の言及

【荒木如元】より

…江戸後期の長崎の洋風画家。もと一瀬氏で,唐絵目利(からえめきき)職の荒木元融(1728‐94)に絵を学び,その養子となって元融の職をついだが,短期間で辞職し,再び一瀬氏にもどった。洋風画は長崎系洋風画の先駆若杉五十八から学んだものと想像される。…

※「荒木元融」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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