荒木宗太郎(読み)アラキソウタロウ

精選版 日本国語大辞典 「荒木宗太郎」の意味・読み・例文・類語

あらき‐そうたろう【荒木宗太郎】

  1. 江戸初期の朱印船貿易商。本姓藤原。名は一清。のちに惣右衛門。肥後熊本の人。長崎拠点に安南、シャムなどに渡航。安南王女を妻にした。寛永一三年(一六三六)没。→荒木船

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「荒木宗太郎」の意味・わかりやすい解説

荒木宗太郎
あらきそうたろう
(?―1636)

江戸初期に活躍した長崎の朱印船貿易家。肥後国熊本生まれ。名は一清(かずきよ)、通称惣右衛門(そうえもん)。武士の出という。1592年(文禄1)豊臣(とよとみ)秀吉から朱印状交付を受けた末次平蔵(すえつぐへいぞう)らいわゆる九艘(そう)船の一人といわれる。1606年(慶長11)に暹羅(シャム)国(タイ)あて、1610年安南(アンナン)国(ベトナム)交趾(こうち)あて、1619年(元和5)から1632年(寛永9)の間には数回交趾あての、彼に対する朱印状交付が記録されている。その後は、オランダ東インド会社のマークを逆さにした船旗をたて、自ら商船に乗り組んで活動し、安南国王外戚阮(がいせきげん)氏の信頼を得てその娘を妻とした。荒木家は鎖国に際して長崎に移住し、のち1690年(元禄3)以後は長崎西築町の乙名(おとな)役を務めた。

沼田 哲]

『川島元次郎『朱印船貿易史』(1921・内外出版社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「荒木宗太郎」の意味・わかりやすい解説

荒木宗太郎 (あらきそうたろう)
生没年:?-1636(寛永13)

江戸初期の朱印船貿易家で長崎の有力町人。名は一清,通称惣右衛門。肥後国の出身で1588年(天正16)ころ長崎に移り,飽ノ浦に住んで貿易を行った。記録の上では1606年(慶長11)に暹羅(シヤム)に,10年には交趾(コーチ)に,そして19年(元和5)から32年(寛永9)まで数回交趾にみずから渡航したが,交趾の高官阮(グエン)氏に信頼され,貴族の待遇を受け,阮氏の娘を妻とするなど,当時の有力な朱印船貿易家であった。荒木船の船旗はオランダ東インド会社のマークを逆さにしたものを使用していた。宗太郎の子孫は代々長崎西築町の町乙名(町名主にあたる)を務め,同家には船旗や安南(アンナン)国書,同国製の鏡などを伝えていた。
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「荒木宗太郎」の解説

荒木宗太郎
あらきそうたろう

?~1636.11.7

近世初期の朱印船貿易家。肥後国に生まれ,1588年(天正16)長崎に移住。1606年(慶長11)のシャム渡航を初見として,鎖国直前の32年(寛永9)まで6回の朱印船派遣が確認される。渡航地はおもに交趾(コーチ)(中部ベトナム)で,みずから渡航して交易にあたった。交趾の実力者の阮(げん)氏の信任が厚く,その一族の女性を妻とした。荒木家はその後,長崎西築町の乙名(おとな)役を勤め,代々継承した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「荒木宗太郎」の意味・わかりやすい解説

荒木宗太郎
あらきそうたろう

[生]? 熊本
[没]寛永13(1636).11.7. 長崎
安土桃山時代の朱印船貿易商。名は一清。熊本藩士の家に生れ,天正 16 (1588) 年長崎飽 (あく) の浦に移住して貿易に従事,タイやベトナム地方に航海。ベトナムでは安南国王の外戚にあたる阮氏の信用を得,元和5 (1619) 年その娘アニオーを妻として帰国した。その船旗にはオランダ東インド会社社章を用いた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「荒木宗太郎」の解説

荒木宗太郎 あらき-そうたろう

?-1636 織豊-江戸時代前期の商人。
長崎で貿易商となり,豊臣秀吉から朱印状を交付され,みずから暹羅(シヤム)(タイ)や安南(アンナン)(ベトナム)にでかけた。元和(げんな)5年安南国王の外戚(がいせき)阮(げん)氏の娘と結婚し,鎖国とともに帰国して長崎にすんだ。寛永13年11月7日死去。肥後(熊本県)出身。名は一清。通称はのち惣右衛門。

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旺文社日本史事典 三訂版 「荒木宗太郎」の解説

荒木宗太郎
あらきそうたろう

?〜1636
安土桃山〜江戸時代初期,長崎の朱印船貿易家
名は一清,のち惣右衛門といった。もと熊本の武士。1606年より'33年まで朱印船貿易でシャム・アンナンに渡航し,アンナンの王族の女と結婚し,一女をもうけたことが確認されている。その持船は荒木船といわれた。

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