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荒木村重【あらき・むらしげ】
6件の用語解説(荒木村重で検索)
朝日日本歴史人物事典の解説-
生年:
天文4 (1535)
没年: 天正14.5.4 (1586.6.20)
戦国時代の武将。丹波国多紀郡(兵庫県)波多野氏の一族の出自という説がある。高村(義村)の子。通称弥介。摂津守。法名道薫。父の代から摂津国人池田勝正に仕えたが,永禄11(1568)年10月,織田信長の来攻に支え切れず勝正に従って降伏。翌年1月,三好三人衆が足利義昭を攻めた本国寺の変では,勝正に従軍してこれを撃退した。その後池田氏が内訌で弱体化すると有力家臣として台頭。天正1(1573)年,茨木城主となって和田惟政を高槻城から追い,摂津東半国を勢力下に置く。同年7月,義昭の槙島城蜂起には織田方として参戦。その功により摂津一国の支配を委ねられた。 天正2年勝正を高野山に放逐し,伊丹城の伊丹忠親を滅ぼし,同城を接収して有岡城と改名。以後山陽方面の軍事を担当し,翌3年播磨浦上氏を攻撃,さらにその翌年には尼崎の海上警備を務めて本願寺に備えた。同5年紀伊雑賀攻めに従軍,翌年羽柴(豊臣)秀吉らと共に播磨上月城主尼子勝久への援軍に加わり毛利氏に対峙した。しかし,同年10月従兄弟に当たる中川清秀の家人が本願寺へ米を売却したという密告により信長に疑われ,釈明しようとしたが果たさず,ついに反逆を決意したといわれる。こうして本願寺,毛利氏側に寝返って,清秀や高山右近らと共に反信長の兵を挙げたが,滝川一益,明智光秀らの攻撃を受け,籠城10カ月におよんだ。その後村重は,同7年9月,ひそかに有岡城の包囲を逃れて尼崎城に入ったが,有岡城は11月に陥落。信長は村重の妻をはじめ30人余を人質とした。村重の同族久左衛門が尼崎に赴いて降伏を説得したが聞き入れず,信長は妻女36人を京都に斬り,家臣およびその妻女600人余を礫刑,火刑に処した。村重は花隅城に逃れたが,翌年7月攻め落とされて毛利氏分国に逃亡。本能寺の変後は堺に居住,千利休に茶を学び,宗匠として秀吉に起用された。堺で死去。近世初期風俗画の名手,岩佐又兵衛はその遺子という。
(森田恭二)
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世界大百科事典 第2版の解説-
あらきむらしげ【荒木村重】
?‐1586(天正14)
安土桃山時代の武将,茶人。摂津池田勝正に属したが,のち織田信長と結んだ。1573年(天正1)足利義昭京都追放後,有岡城(旧伊丹城)にて摂津一国の支配を行うとともに石山本願寺攻めの主力として活躍する。78年信長にそむき,翌年敗れて尾道に逃れ,剃髪して道薫と号した。82年信長死後は豊臣秀吉に近侍した。茶を千利休に学び茶人としても著名で,後世七哲の一人に加える書もある。【高木 傭太郎】
▼荒木村重について記述のある項目
池田[市]【いけだ】
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説-
荒木村重 あらき-むらしげ
 
1535-1586 戦国-織豊時代の武将。
天文(てんぶん)4年生まれ。池田勝正,のち織田信長につかえ,足利義昭の京都からの追放に功をたて,摂津一国を支配した。天正(てんしょう)6年石山本願寺・毛利氏とむすんで信長と離反。敗れて人質となった一族郎党を見殺しにして毛利氏のもとに脱出した。のち剃髪して,信長の死後,茶の湯で豊臣秀吉につかえた。天正14年5月4日死去。52歳。通称は弥介。号は道薫。
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百科事典マイペディアの解説-
安土桃山時代の武将。初め足利義昭に仕えたが,1573年織田信長に属し摂津(せっつ)一国を与えられ,石山本願寺(大坂御坊)攻撃に当たった。1578年信長に伊丹(いたみ)城を追われ,流浪中を豊臣秀吉に拾われ近侍した。
(?-1586)
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デジタル大辞泉の解説-
あらき‐むらしげ 【荒木村重】
[?~1586]安土桃山時代の武将・茶人。摂津の人。織田信長に従ったが、背いて地位を失った。のち、道薫(どうくん)と号し、茶道に専念。茶人として豊臣秀吉に仕えた。利休高弟七人の一。
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大辞林 第三版の解説-
あらきむらしげ【荒木村重】
(?~1586) 安土桃山時代の武将。摂津の人。織田信長に従い,摂津守となったが,1578年謀反の疑いから信長に追われ,毛利氏を頼んだ。のち剃髪(ていはつ)し,筆庵道薫と号して茶の湯をきわめ,豊臣秀吉に近侍した。
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