…昭和初期における農業恐慌,水稲冷害(1931,34,35)は,日本の農学,とくに稲作などをめぐる実験的諸研究の発展の第1の契機となった。篤農荻原豊次の保温折衷苗代の創出は,水稲苗研究の端緒になり,塩入松三郎の水田脱窒現象の発見と全層施肥法の考案は,現代の水田土壌化学への出発点となり,寺尾博らの水稲の冷温による被害の研究は,今日の水稲生理・生態実験の嚆矢(こうし)ともいうべきものとなった。浅見与七が果樹研究へ実験的手法を取り入れたことも見落とせない。…
…溝のみに湛水(たんすい)することで水苗代と畑苗代の利点を取り合わせ,さらに生長に好適な温度を与えるものである。1932年ごろ長野県軽井沢町の荻原豊次が考案し,長野県農業試験場の岡村勝政らが改良を加えた。油紙保温折衷苗代として第2次大戦後,寒地の育苗法に広く採り入れられ,この地域の稲作発展に大きな役割を果たした。…
※「荻原豊次」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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