菅原 師竹
スガワラ シチク
江戸時代末期〜大正期の俳人
- 生年
- 文久3年8月(1863年)
- 没年
- 大正8(1919)年3月24日
- 出生地
- 陸奥国登米郡登米(宮城県)
- 本名
- 菅原 賢五郎
- 旧姓(旧名)
- 伊藤
- 別名
- 旧号=微笑
- 経歴
- 幼時元藩儒中沢敬哉に経史を学ぶ。一時東京に遊学するが、菅原家養子となり農業に従事。俳号微笑時代は旧派であったが、明治37年安斎桜磈子と知り共に日本派俳句に入る。翌年新聞「日本」、ついで「日本及日本人」に投句、河東碧梧桐に師事し多作で知られた。新傾向時代初期に活躍し「師竹・桜磈子時代」を画す。「続春夏秋冬」「日本俳句鈔」などに多く句を収め、安斎桜磈子編「師竹句集」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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菅原師竹 すがわら-しちく
1863-1919 明治-大正時代の俳人。
文久3年8月生まれ。宮城県登米(とよま)の人。はじめ旧派俳諧(はいかい)に属したが,日本派の俳句を知り,明治38年から新聞「日本」に投句,河東碧梧桐(かわひがし-へきごとう)の指導をうける。東北俳壇で安斎桜磈子(おうかいし)とならび称された。大正8年3月24日死去。57歳。本姓は伊藤。名は賢五郎。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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