菅浦村(読み)すがうらむら

日本歴史地名大系 「菅浦村」の解説

菅浦村
すがうらむら

[現在地名]西浅井町菅浦

大浦おおうら村の南東、琵琶湖北岸葛籠尾つづらお崎の西側の小湾頭の平地段丘に立地。背後に日計ひばかり山系山地が迫り、大半は山地。大浦村境に枝郷赤崎あかさき村がある。当地は「万葉集」巻九小弁の歌に「高島の阿渡の水門を漕ぎ過ぎて塩津菅浦今か漕ぐらむ」と詠まれ、湖上交通の要湊塩津しおつとともに古くから知られた湊で、塩津湊航行時の待避湊でもあったとみられる。もと大浦庄のうちで、のち菅浦庄が成立、両庄間で境相論が繰返された。菅浦与大浦下庄堺絵図(須賀神社蔵。国指定重要文化財)では、葛籠尾崎の南端湖岸に数軒の屋舎、山上に二個の僧堂らしいものが描かれている。半島東側は片山かたやま(現高月町)延勝寺えんしようじ(現東浅井郡湖北町)の飛地で、片山地先の字てらうら土山どやま(堂山か)の地名を根拠に往時古寺を中心とする集落があったとも伝える。葛籠尾崎の南東沖合に葛籠尾崎湖底遺跡がある。湖底遺物の年代は縄文時代早期から奈良時代に及ぶとみられているが不明な点が多い。なお天明二年(一七八二)葛籠尾山をめぐる境界争論で、同山西側を当村、南東側を延勝寺村、その他を片山村と決めた(菅浦文書、以下同文書は省略)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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