菊池 常三郎(読み)キクチ ツネサブロウ

20世紀日本人名事典 「菊池 常三郎」の解説

菊池 常三郎
キクチ ツネサブロウ

明治・大正期の陸軍軍医総監



生年
安政2年8月15日(1855年)

没年
大正10(1921)年5月4日

出身地
肥前国小城(佐賀県)

学歴〔年〕
東京大学医学部〔明治14年〕卒

学位〔年〕
医学博士〔明治25年〕

主な受賞名〔年〕
勲一等大極章(韓国)

経歴
肥前小城藩医の子として生まれる。明治14年陸軍軍医となり、19年陸軍省留学生としてドイツ軍事医学を研究、外科専攻して、23年帰国、25年日本初の博士となる。31年第4師団軍医部長。32年落馬負傷して公務を退き実兄菊池篤忠と共に大阪に回生病院を設立。40年復職し陸軍軍医総監となる。退官後は朝鮮に渡り大韓病院院長。この間、刺客に刺され重傷総理大臣李完用を手術、一命を救った功により韓国の勲一等大極章を贈られた。大正6年西宮に回生病院を独立させ自ら診療に当たった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「菊池 常三郎」の解説

菊池常三郎 きくち-つねさぶろう

1855-1921 明治-大正時代医師
安政2年8月15日生まれ。肥前小城(おぎ)藩(佐賀県)藩医の子。陸軍軍医となり,ドイツに留学して外科を専攻。明治31年第四師団軍医部長。一時公務をしりぞき,兄菊池篤忠(あつただ)とともに大阪堂島に回生病院を設立。40年復職,軍医総監となる。のち韓国の大韓病院長をつとめた。大正10年5月4日死去。67歳。東京大学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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